見出し画像

乳腺炎の思い出(その1)

息子を生んで3か月もうすぐでお食い初めという時期にひどい乳腺炎にかかった。
最終的に切開して何とかなったけど、ほんとに地獄を見た。

産後すぐに産院では母乳とミルクの混合。
退院してからの1週間健診ではお墨付きをいただき、完全母乳に…と言われたが、夜はしっかり寝てほしくて寝る前だけは母乳のあとにミルクを追加していた。今思えばこの時言われたことをちゃんと聞いて完母でいくべきだった。

生後1か月くらいは人並みに夜中も起こされて夜間授乳で寝不足続きだった。(寝る前のミルク意味なし)
しかし生後3か月くらいになってなぜか夜にしっかり寝るようになった。
23時〜6時頃までぶっ続けで寝てくれるようになってかなりよろこんでいた。
しかし、そんなよろこびも長くは続かず地獄への入口となったのである。

華の7時間睡眠が続いて3日目くらいで右胸に小さなしこりができた。
生後1か月までに一度軽い乳腺炎は経験していたので「授乳続けてればそのうち治るだろ〜」くらいに思っていた。
さらにその3日後にしこりを残したまま、フライドチキンを昼食に食べる。ここが2つ目のターニングポイントとなる。
フライドチキン摂取から2日後、ついにしこりはどうしようもなくなり、発熱。
出産した産院に助けを求めることとなる。

その産院では産後のケアとして助産師さんによるおっぱいマッサージが受けられるようになっていた。
保険適用外のため少々お値段がはるので最後の手段として考えていたが、背に腹は変えられない。
月曜日の朝に電話して、予約が取れたのはその日の15時。
こちらはなかなかの緊急事態なのに結構厳しい対応なのだな…と泣いた。

そしてその日の14時半、待ちに待った予約の時間が迫る中、産院へ向かう。
その道中すら一筋縄ではいかない。
まず熱が高いため、車の運転に自信がなくタクシーで行くことにした。
大人しく電話で自宅前まで迎えに来てもらえばいいものを、ここでも貧乏人根性丸出しで大通りまで自力で歩いて「へい!タクシー!」と流しのタクシーを捕まえるという選択肢を選んでしまった。
自宅から大通りまで徒歩約5分。
健康体であればなんてことない道のりではあるが、このときはそこそこの高熱と胸の痛み。さらにそこに抱っこ紐で抱っこしてる赤子からの圧迫。
熱でフラフラしながら激痛に耐え、何とかタクシーを捕まえることができた。
ホッとして座席に乗り込むが、抱っこしている赤子がこの日に限ってぐいぐいと手で胸を押してくる。
タクシーの運転手さんとの「赤ちゃんちいさいね〜どれくらい?」とか「だいじょうぶ?暑くない?」とか朗らかな会話もしながらも胸元では母と子による激しい攻防戦が繰り広げられていたのである。

ようやく到着した産院ではさらなる激痛と戦うこととなる…(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?