乳腺炎の思い出(その3 )
昨日の助産師さんには「しばらくマッサージを続ければ良くなるはず」と言われたし。たぶん大丈夫。
そう自分に言い聞かせ、再び産院へ向かう。
昨日とは別の助産師さんに出迎えられ、さっそく施術をしてもらった。
そしたら、昨日は出てこなかったちょっと緑がかったようなドロッとした膿のようなものが出てきた。
おや!これは!原因のやつではないか!?とちょっと喜んだのも束の間、昨日の施術の比じゃないくらいの激痛のマッサージ!
でも、これを耐えれば良くなるんだよね!?と希望をもって受けた。
出産時は無痛分娩だったため、出産の痛みとどちらが痛いかは個人的に比べられないけど、たぶん同等の痛さ。
助産師さんに診てもらったときに「この痛みに堪えられるなら無痛分娩にしなくても大丈夫だったよ」と言われるレベル。
しかもこの日は重症患者扱いで普通なら30分のところ1時間枠を取ってもらっていたので痛みの時間も倍。
45分を過ぎた頃には堪えられず別に行きたくもないトイレに行って数分クールダウンの時間を取った。
ここまでしたのに、まだしこりは取れない。
なんなんだもう。でも、悪さをしてそうなやつは出てきたからたぶん大丈夫よね。
そう祈りながらフラフラと家へ帰った。
しこりは取れないので相変わらず熱は高い。
授乳をすることが一番の治療法。
家に帰ってからはひたすら授乳。
夫には「乳腺炎で辛いから早く帰ってきて」と伝えたものの、その週は結局週3で飲んで帰ってきた。
帰ってきても、詰まりがあってなかなか授乳がうまくいかず、いつもより赤子がグズると「泣いてるんだから早くミルク足して黙らせろ」と言われる。
こっちは飲んでもらって詰まりを取ることを目標にしてるのに。
この時は身体が限界で言い返す気力もなく、ぐずったら夜中の町を抱っこ紐して彷徨い、落ち着いたら帰ってきてまた授乳、ということを繰り返した。
この恨みは一生忘れない系のやつだと思う。
それはさておき、施術3日目。
この日に出会った助産師さんには大変お世話になる。
さて始めましょうか、と幹部を見せたところ助産師さんの顔が曇る。
これは…となり、とりあえず今までの経過をざっと説明。特に昨日は原因となってそうなやつも出てきたよ!とポジティブさを出しておいた。
それなら…と施術を始めてもらったものの、昨日とは様子が違う。
辛うじて通っていた腺が完全に詰まってしまっている模様。
悪そうなやつも出ないよ…ヤバイよ…となって、緊急で助産師長さんに診てもらうことになった。
これまでに施術してもらった方や、何名かの助産師さんに囲まれて「あ、ダメだ」となった。
そしてついには院長先生まで来てもらって診てもらう始末。
初日にやったけど血液検査をもう一度。今回は炎症反応あり。
悪化してんじゃん。
ここでの院長先生の判断は、もう少しマッサージと投薬で様子見、となった。
実はこのとき、母乳の生産をストップする薬を飲んで断乳する?との選択肢もあったけど、自分自身の踏ん切りがつかず、断乳はしない方向で進めてもらった。
なのでもう少ししたら穿刺して患部に針を刺して針で溜まってる乳汁を抜いていこう、とのことでした。
助産師さん曰く、作りすぎて溜まった乳汁はしこりとなるけれど、ある程度の時間が経つとまた体内に吸収されるとのこと。
それを待つしかないね、それまでは毎日通ってね、言われ、もはやミルク代よりも高くつくことが決定してしまった。
「ところで今週末お食い初めのために京都に帰る予定なのですg…「いやそれは無理よ!この状態で長時間の移動とか責任持てない!」という総ツッコミをいただき、お食い初めは延期してもらうことになった。(つづく)
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