赤い薔薇、泥酔、コーンスープ
玄関のたたきで目が覚めた。寒い。体がめちゃくちゃ冷えて手足なんかほぼ死体だ。コートは着たまま、マフラーも首に巻きつけたまま、カバンも頭の脇にある。起き上がろうとしてよろめく。7センチはあるヒールのパンプスを履いていたのだ。ストッキングは電線してぼろぼろ、ネイルは両手ともはげてまだら、ピアスと指輪はどちらもなくして、コンタクトレンズはつけっぱなし。そこで自分が下敷きにしていたものに気づく。真っ赤な薔薇を中心にした、妙に大きい派手な花束。プロポーズくらいしか用途がなさそうなやつ。クソ。なんやねんな、なんでこんなもん持ってんの。
ゆうべの記憶がない。たぶんタクシーで帰ってきた。最寄駅は終電が早いのだ。泥酔して誰かに車につっこんでもらったんだろう。二次会のバーで6人くらい残って飲んでいたのは覚えてる。課長と係長と新人の子と、あと女の社員さんたちがいたんだ、一次会はそもそもなんだったっけ。海鮮居酒屋で部署の人たちと飲んでて、ださい花束を課長からもらって、なんかみんなに別れを惜しむようなことを言われて、そうか、昨日は月末最終金曜日、梅田で会社の飲み会。私の退職記念の送別会だ。
頭が破裂しそうで目が霞む。着ているものを廊下に脱ぎ捨てて風呂場に倒れ込むと便器に抱きついた。ユニットバスは冬はクソ寒いけど二日酔いには便利かもなと思う。そのまま頭からシャワーをがんがん浴びて、ようやく正気を取り戻す。ドライヤーもそこそこに敷きっぱなしの布団にもぐり、お湯でとかしたコーンスープをすする。携帯には派遣会社の担当者からの次期派遣先候補の求人情報のメールが2件、実家の母から不在着信が2件、友達からのLINEが10件たまっていた。
派遣社員は1つの職場で最長でも3年間しか働けない。それを超えるときには派遣先に直接雇用してもらうか、その会社との契約を終え別の派遣先に勤めることになるかで道が別れる。派遣会社そのものの正社員になることもできるが、その場合でもいろいろな会社に派遣され続けることに変わりはない。派遣先の会社が直接雇用を打診してくれるかどうか、契約満了の瞬間は4年に一度くる大博打、ビッグチャンスとつらい日々との分かれ目だった。そして私は今回もまたハズレをひいてしまったというわけ。
求人情報メールの詳細を読んで悩んでいると携帯が鳴る。ユキからだった。
「なにしてんの今ひま?」
「むっちゃ二日酔いやけど。ユキ今日休みなん」
「せやねん、先週末で前の会社契約終わってて今めっちゃひま。ミサキはどうなん今回」
「あかんまたクビ。直接雇用の可能性なし。絶賛求職中」
「なんや、私とおんなしやねえ」
ユキは秘書だ。大手会社の社長室とか、大学の教授の研究室とか、偉いおじさんのいる場所を渡り歩く派遣社員。仕事はできるし美人だから華にもなるが、ポジション的になかなか正職員にはなりづらい。今回もまた3年勤め上げた電力会社を離れるしかなく、別の派遣先を探しているのだ。
「状況のわりに気楽そうやな」
「ふふ。いい話があるんよ」
ユキがうれしそうに言う。
「ちょっとファイル送るから見て」
ユキから送られてきたファイルはなんと、前職の電力会社の機密情報だった。特に社長の個人情報、取引先との内密なやり取りの詳細、重役たちの着服や賄賂などの悪事、社内で起きたインサイダー取引やセクハラ・パワハラなどの不祥事の情報がびっしり書面に書かれている。
「え、なんなんこれ、どうしたん」
「ばれたらやばいけどな、前の会社からちょっとパチってきた。もっと前の職場のデータもまだ他にあんねん」
慌てる私をよそにユキはのんびりと言う。
「な、ミサキも今の会社の内部事情ちょっとはわかるやろ。協力したらおもしろいことできると思って」
「おもしろいことって」
「脅迫」
私は二日酔いなんてもうどっかにいってしまって、妙にはっきりと頭が冴えていた。布団から抜け出してワンルームの部屋の真ん中に立つ。ユキは自分のこれまでの勤務先や私の勤務先を相手取って情報と引き換えに金を強請ろうとしているのだ。あえて社内や重役の情報に触れやすい秘書の仕事を選んだのも、あるいはこれが当初からの目的だったのかもしれない。携帯を持つ手が震えた。ユキが明るく言う。
「こんな仕事いつまでもやってられへん。どうせクビなら死なば諸共や、いっちょやってやろや」
私は上着を羽織りながらさっきまでぶっ倒れていた玄関に戻ると、置きっ放しの薔薇の花束を台所のゴミ箱にぶち込んだ。
「…その話乗った。今から行く」
「よっしゃ。作戦会議!」
ユキは笑いながら電話を切る。私は駅へと走る。さあ、復讐の始まりだ。
テーマ:四年に一度
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