歴史は繰り返す。
今、
一度切りの人生で何か1つをやるとしたら何がしたいか、
考えて、
僕は自分の境遇や問題意識を伝えていくこと、
を選びました。
最近までは、
将来的にコーチングを活かして話を聴く仕事がしたいと思っていましたが、
どちらか1つを選ぶとしたら、
やはり、
産まれつきの障害や、
視力矯正の不具合に関わる、
自分の境遇や問題意識を伝えていくこと、
を、
人生を掛けてやりたいことだと思いました。
そして、
自分の境遇や問題意識を伝えていく方法として、
僕は、
「ひきこもり」の問題を通じて伝えていくことに、
今は可能性を見出しています。
そんな僕の選択と今の状況は、
7、8年前の自分と重なります。
7、8年前、
コーチングやビジネスの世界を捨てて、
ひきこもり関係の集まりや、
視力矯正の不具合に取り組むことを選んだ日々と。
7、8年前、
僕はコーチングの師匠からコーチとして独立していくためにビジネスコンサルを受けていました。
僕もコーチングが好きだったので、
独立して自分の実力でお金を稼ぐことに憧れていました。
でも、
視力矯正の不具合を抱えているために、
全力でコーチングする自信が持てず、
視力矯正の不具合を改善しないとコーチとして独立してやっていくのは難しいと感じていました。
そのため、
視力矯正の不具合の改善に協力して下さる専門家の方を探していたのですが、
協力して下さる方を見つけることはできませんでした。
それに、
自分の産まれつきの障害のことや、
視力矯正の不具合を抱える中で芽生えた問題意識、
初めて求職活動をした際に訪れた様々な就労支援機関で受けた対応に疑問を持ったこと、
など、
本当は世の中に伝えたいのに伝えることができていない問題意識を、
伝えていきたいという想いが残っていました。
僕はコーチングの師匠のことは尊敬していましたが、
僕の問題意識を聴こうとする姿勢は、
余り感じられませんでした。
その点については、
僕は師匠に不信感を感じていた部分でもありました。
結果的に、
僕は、
「視力矯正の不具合やひきこもりの問題に取り組まないといけないので、
コーチとして独立してビジネスをやることはできません」
と師匠に伝え、
師匠の元を去りました。
それと同じ時期...だったと思いますが、
僕がまだ世田谷区に住んでいる頃、
三軒茶屋駅から歩いて10分ほどの、
三宿、下馬エリアを歩いている時、
ふと、
頭に直感のように、
浮かんだ、
世田谷ものづくり学校にある、
メルクマール世田谷に行こう、
という閃き。
メルクマール世田谷とは、
ひきこもりなど、
生きづらさを抱えた若者たちのための相談支援や居場所活動を行なっている事業です。
メルクマール世田谷の「メルクマール」がドイツ語なことや、
ホームページのイラストが可愛らしく、
気に入ったこともあり、
僕はその閃きに従って、
メルクマール世田谷に通うことになりました。
その時から遡ること3、4年前(今から10年以上前)も、
僕は同じものづくり学校の中にある世田谷サポートステーションに通っていました。
10年前と7、8年前とで、
視力矯正の不具合の改善も、
ひきこもりの問題を伝えることも、
仕事に就くことも、
何一つできていない状況は変わりませんでした。
そう思うと、
当時も今も、
とても悲しく感じます。
10年前と7、8年前とで変わったことは、
世田谷サポートステーションとメルクマール世田谷、
それぞれ請け負う団体が違うことです。
10年前、
世田谷サポートステーションに通っている時はワーカーズコープで、
7、8年前、
メルクマール世田谷に通っていた頃は、
茗荷谷倶楽部でした。
ワーカーズコープは専門的な資格を持っていないスタッフが相談を担当していましたが、
茗荷谷倶楽部は基本的に臨床心理士の資格を有しており、
それがとても良い点だと思いました。
でも、
メルクマール世田谷に行くことで、
自分の境遇や問題意識を伝えたり、
就職することにつながることはありませんでした。
正直言うと、
何も成果を得られなかったと思います。
その点については、
別の機会に書くとして...
今、
コーチングやビジネスの世界に行くことよりも、
自分の境遇や問題意識を伝えていくためにひきこもり関係の集まりやイベントに参加していることと、
7、8年まえ、
コーチングの師匠の元を去ってひきこもりや視力矯正の不具合に取り組む道を選んだことは、
とても似ているなと感じます。
7、8年前は出来なかった、
「ひきこもり」関係の集まりで真剣な話し合いをすること、
や、
自分の境遇や問題意識を伝えていくこと、
を、
今度は実現していきたいと思います。