archive01 視力矯正1
視力に問題を抱え始めたのはいつ頃からだったろうか。
視力が低下し、初めて眼鏡の着用を求められたのは中学生の頃だった。
その頃はまだ、眼鏡を掛けたときにクリアな視界が広がっていた。決定的だったのは20歳を過ぎたある日、病院へ行く途中、バスの中で眼鏡を掛けて文庫本を立ち読みしていたときだった。
その頃僕は強めの度数の眼鏡を掛けていた。
僕の近視は両目とも-2.75~-3.00ほどで、軽度の近視に該当する。
乱視は水晶体乱視と倒乱視で、度数は両目ともだいたい-1.00前後。
-3.00の近視の矯正度数は-1.75~2.00が標準だと言われているが、
高校生から20歳過ぎの頃は両目とも-2.25の度数で矯正していた。
-2.25Dの矯正度数は僕の眼には一般的に過矯正だと言われている。
バスの中で読書することは一般的に眼に悪いと言われているが、
僕は乗り物の中で本を読む行為に憧れていた。
「憧れ」というよりは「規範的」な行為だと思っていたのかもしれない。
規範的な姿勢で本を読むには視力矯正器具=眼鏡を装着する必要があった。
バスの揺れで本の活字がブレるのを感じた。乱視の矯正による疲れや歪みと、バスの揺れによる活字のブレで酷く気分が悪くなったのを覚えている。
病院に着き、受付をすましてから、待合室でも読書を続けていた。
バスの中での読書と同様、待合室で本を読むことも規範的な行為だと考えていた。待合室は暗かった。
そのときに僕は眼鏡のレンズ越しに映る本の活字がすっぽ抜けるような感じがした。
乱視を矯正しないと、ちょうど水中で視るようにモノがボヤけてみえる、とメガネ屋の検査員の方がよく言っていた。
その時のすっぽ抜ける感じは、水の中に溺れてしまった感覚に近いのかもしれない。
それ以後、水上の景色が視える日はやってこなかった
(2012.06.18)