視力矯正の不具合を抱える当事者。
以下は、
社会生活に困難を感じている方々を紹介している、あるサイトに掲載して頂く予定だった文章です。
半年ほど前に書いた文章なので時間を表す数値は正確ではないかもしれませんが、
状況は現在とあまり変わっていません。
少し長い文章ですが、
お読み頂ければ幸いです。
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【タイトル】
『視力矯正の不具合を抱えているため、 やりたいことが充分にやれずに悩んでいる当事者』
はじめまして。
僕は視力矯正の不具合を抱えているため、
やりたいことが充分にやれずに悩んでいます。
年齢は37歳、性別は男性です。
視力矯正の不具合というのは、
眼鏡やコンタクトレンズなどの視力矯正器具を装用しても、視界の歪みや頭痛、違和感などが生じ、またそれらに伴い 身体全体にも不調が生じて社会生活が困難な状態、です。
やりたいことというのは、
自分の境遇や問題意識を人々や社会に伝えていくこと。
そして、志や問題意識を共有できるパートナーと共に、社会を変える活動をすることです。
僕は自分を紹介する時、
いつもどんな風に紹介して良いのか悩んでしまうのですが、
今日は主に視力矯正の不具合に焦点を当てて書きたいと思います。
視力矯正の具合が著(いちじる)しく悪くなったと感じたのは、今から13、4年前、
僕が22、3歳の頃、
バスに乗りながらメガネを掛けて本を読んでいる時のことでした。
バスの揺れが激しく、
文字に焦点を当てるのが大変だった記憶があります。
それでも無理やり頑張ってメガネ越しに文章を読もうとしているうちに、急にだったか、段々にだったか、
視界の鮮明さが落ちていったのを感じました。
「すっぽ抜ける感じ」というか、
いつもこの見え方を言語化出来ずに苦労しているのですが、
クッキリしない感じ、です。
その時に掛けていた眼鏡が眼に合わなくなったため、眼鏡屋に行って視力検査をして頂きました。
検査の結果、以前よりも乱視が進んでいて、今の眼鏡では乱視の矯正が弱く近視の矯正が強過ぎる。そのためモノは鮮明に見えないのに遠くの距離に焦点が当たってしまうため、「すっぽ抜ける感じ」になってしまうということでした。
検査結果に基づいて出した眼鏡屋さんの処方に従い、
それまで使っていた眼鏡より近視の度数を弱め、乱視の度数を上げた眼鏡を作ることになりました。
本当に苦しい状況が始まったのは、
バスの揺れによって著しく視力矯正の具合が悪くなったと感じた時ではなく、
もしかしたら、
「それまで使っていた眼鏡よりも近視の度数を弱め、乱視の度数を上げた眼鏡」を作って掛け始めた時かもしれません。
その眼鏡を掛けると確かに視界の鮮明さは増すのですが、見え方の質は以前と違い、
滲んで見えるというか歪んで見えるというか、水の中に沈んだような視界というか、
上手く表現できないのですが、
鮮明さは増したがクッキリとはしないような感じの見え方でした。
見え方が悪いだけでなく、
乱視の矯正を強くした影響か、
とてつもない圧迫感と頭痛を感じ、
とても長くは掛けていられませんでした。
その見え方や装用感を眼鏡屋さんに伝えましたが、結局、「掛けていれば慣れる」
ということになり、しばらく使ってみましたが、視界の悪さやとてつもない圧迫感と頭痛、それらに加えて胸が苦しくなり動悸がしてしまい、やはり長くは掛けていられず生活が思うようにできませんでした。
その後も何度か不具合を訴えましたが、 改善する方法が見つからず、
他の眼鏡屋さんを巡り歩くことになるのですが、
現在まで、良い改善方法が見つからずにいます。
眼鏡屋さんだけでなく、
眼科、コンタクトレンズショップ、コンタクトレンズメーカー、視力回復センター、眼鏡の専門学校、眼の不具合を抱える人の相談に乗っているNPO、視覚障害を抱えた当事者のグループ、公的機関の窓口...など、様々な場所を巡り、
相談してきました。
その過程で眼鏡だけでなく、
様々なコンタクトレンズ、視力回復トレーニング、オルソケラトロジーなどを試し、その都度、自分なりに試行錯誤しながら乗り切ってきましたが、根本的な解決には至りませんでした。
そんなことを繰り返しているうちに、
医師と患者、売り手と買い手など、
専門家やサービス提供者と一般市民や消費者という関係で不具合を改善していくことに限界を感じるようになりました。
例えば、
メニコン・セレスト(右BC820・PMW-2.25、左BC820・PMW-1,25) というレンズを装用している際、
僕は左眼に痛みを感じやすいのですが、 レンズのカーヴ数を変えてみても、
既存のレンズの中には自分の眼に合うレンズは見つかりませんでした。
そこで、自分の眼に合うレンズをオーダーできないか相談してきましたが、
そのようなことはできないと言われてきました。
オーダーメイドのハードレンズを作成しているメーカーは、1つは存在するのですが、
そ
のメーカーが使っているレンズの素材自体は変えられないため、
その素材が眼に合わなければ使用することができず、
完全にオーダーメイドとは言えません。
また、医師の指導のもとに行われるので、
そのメーカーと提携している眼科の医師が丁寧に話が聴ける方でなければ、
自分が抱えている不具合を伝えた上で、 不具合を解消していくためのレンズを作成していくことはできません。
これはハードレンズだけでなく、
ソフトレンズや眼鏡にも当てはまると思います。
自分が抱えている不具合や生活スタイルを伝えながら、
その不具合を改善していくためのコンタクトレンズや眼鏡、
あるいはその他の改善方法を見つけていく作業を、患者や消費者という立場で、 時間の限られた診察室やコンタクトレンズショップや眼鏡店で行うのは難しいと思います。
そこで、
視力矯正の不具合で悩んでいる当事者と専門家や、専門家を志している方とが、 ゆっくりと丁寧な対話を行いながら視力矯正の不具合を改善していく活動や研究を行いたいと考えるようになりました。
しかし、
協力してくれる人を探しましたが、やはり見つかりませんでした。
僕が行なっている視力矯正の方法について、
専門的な数値を使っているので少し分かりづらいかもしれませんが、
一例を紹介したいと思います。
以前、
2018.4.23付けのFacebookに行った投稿です。
「【視力矯正日記】「最近の視力矯正サイクル」出掛けるときにメニコンセレスト(BC820・PMW-1,25)を右眼につけ、用事、特に人に会う際はメニコン・セレスト(右BC820・PMW-2.25、左BC820・PMW-1,25)か、?シードUV1? (右BC820・PMW-1.25、左BC820・PMW-0.75)の組み合わせ。
その後、ハードレンズによる痛みや頭痛が酷くなってくると乱視用ソフトレンズを装用することにしている。」
これに加えて喫茶店で読書をする時は片方のツルがない眼鏡を掛けたり、
コンタクトレンズを片目に入れたりしながら視力矯正の具合を調整しています。
帰宅してからは視力矯正の不具合による1日のダメージを回復するため、
メニコン・セレスト(左BC825・
PMW-1,25)を片目ずつ装用し、
具合を整えています。
基本的に今もこのサイクルは変わりません。
(今はこのサイクルは変わっていて、乱視用ソフトレンズを使うことは殆どなくなりました。【2019.06.06 追記】)
そして、
このような試行錯誤は専門家に相談して行っているのではなく、
独りで行なっています。
毎日、視力矯正の不具合による視界のボヤけや、頭痛、違和感、コンタクトレンズを装用することによる目の痛み、それらに伴う身体全体への不調、1つの眼鏡、1つのコンタクトレンズを長くつけていられないため何処へ行っても何をしていても、
「あと何分持つか」ばかり気にしてまう焦りや不安、
コンタクトレンズを何度も入れ替えなければならない煩わしさ、
このような状況を知っているのに協力してくれない、専門家、家族、定期的に顔を合わせているたちへの憤り...
もちろん困っている人に協力する義務なんてないと思います。
僕自身も別の事情で「助けて欲しい」、「協力して欲しい」と声を上げている人たちがいても、手を差し伸べたり力を貸すことができるとは限りません。
結局は人を助けたい、協力したいと思えるかどうか、という好き嫌いの基準か、 助けたい、協力したいと思って実際に行動できるだけの心や体力や、経済的、時間的な余裕があるかどうか、だと思います。
あるいは社会的な信用があるかどうか、です。
僕が本当にやりたいことは、
「自分の境遇や問題意識を人々や社会に伝えていくこと。
そして、志や問題意識を共有できるパートナーと共に、社会を変える活動をすること」
だと最初に述べました。
抽象的な表現で恐縮ですが、
それらを充分に全力で行うためには、
もっとたくさんの人と会って話をしたり、
たくさんの本や文字情報を読んだり、
いろんなところへ出かけて行って色んな体験をしてみたい。
視力矯正の不具合に時間とエネルギーを費やして疲れ切っている状況から抜け出して、
ありったけの時間とエネルギーを本当にやりたいこと、夢、志の実現や、人生を楽しむことに注ぎ込みたい。
そのためには視力矯正の不具合を改善することが、どうしても必要です。
不具合の100%の「解決」というよりは、
「改善」です。
僕にとって視力矯正の不具合という「問題」の「解決」の1つは、
「視力矯正の不具合で悩んでいる当事者と専門家や、専門家を志している方とが、
丁寧な対話を行いながら視力矯正の不具合を改善していく活動や研究」を行なっている状況をつくること。
つまり、
視力矯正の不具合を改善するために、
「このような試行錯誤は専門家に相談して行っているのではなく、
独りで行なってい」る、
「孤立している状況」から、
人々や専門家と協力して視力矯正の不具合を改善しているという、
「孤立していない状態」になることです。
「孤立していない状態」になるために、 視力矯正の不具合を抱えていて充分に読み書きができず、
視力矯正の不具合についての微妙な感覚を的確で巧みな言葉を使って表現できなくても、
視力矯正の不具合を抱えていて悩んでいる、
ありのままの自分として、
自分の境遇や問題意識を語っていきたいと思います。