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穢れ と 氣枯れ (ケガレ)

 自然の中にいると、シーンという無音?が聞こえたり、カサカサやヒューとかの音が聞こえる。法則性がないようであるようで、だんだん整ってくる?共振してくる感じがあるから不思議に思ったりもします。

そんな環境で、楽器や声で音を発してみると、曲を奏でなくても響きが音魂(おとだま)化する感覚で、氣持ちが穏やかに、かつみなぎるエネルギーも感じたりします。特にこの時は、京都という古来から多くの方々が行き来し、生き死にを交換してきたところだからかも知れません。

 気を「氣」と書いているのは、やはり日本人は米に生かされてきて、その体から発する氣ですから、略字にしたくない時には使っています。神社や寺院の儀式でも、お酒だから、ビールやウイスキーで?とならないのは、米から造られた日本酒に限るとご教示頂いた事もありました。

 現代社会の一員ですから、日頃は多数派の認識を尊重していますが、漢字のそもそもの意味を大事にしたいと思っています。その上で、同音違語になってしまっているのでは、、と改めて気づいたきっかけが、葬儀時の塩なんです。(ナトリウムは本来の塩ではないという話もありますね)

個人的に、死者を忌まわしく思うように感じてしまい、どこかなじめず塩は使わないで来ました。汚れ、穢れってイメージに抵抗がありました。ところが、悲しみで氣が枯れないように、塩で自らを清める。祓う。という意味であれば納得です。氣枯れ、けがれ、、なるほどです。

 ここは千葉館山の竹林。うぐいすも好き勝手に鳴いている感じでしたが、演奏が始まると、何か呼応してくるようで愛おしくなります。この感情は、氣枯れとは真逆の、愛を感じる温かで力強い氣となっていたことにも気づきました。

JOYSHiP、喜心(きしん)は氣の充実があってこそと思います。心と体はつながっているし、口から肛門は外=自然とも言われます。自然の中で意識、意思氣?これは単なる思いつきですが、氣もちがみなぎることでの健康もあると思います。

そう音楽や言葉、笑いの響きが「氣」の健康を育む。喜心、JOYSHiPで、なーんとなく調子悪い、そんな未病状態を健康にシフトする力を仲間たちと育むんだ!と”意思氣”して行こうと思います。
氣枯れを晴らす(清め)のも JOYSHiPです。

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