第39話『訃報』

 三日後、夜。

 黒常は屋敷の最奥にある私邸の地下牢で、老猿を拷問していた。

 後ろ手に縛った老猿はほとんど裸に剥かれており、体中に切り傷、あざ、火傷の痕が浮かんでいる。
 これまでの拷問で刻まれたものと、今現在も刻まれているものだ。

「さて、今夜は趣向を変えようと思っているのだ」

 黒常は小さな木槌を取り出した。

「一刻ごと手の指を一本ずつ砕くというものだ。最近、部下たちの調査が難航しているせいで気が高ぶっていて、中々寝付けなくてな。悪いが、今夜は朝まで、お前の指で遊ばせてもらうぞ」

 嗜虐的な面をのぞかせる黒常を前にしても、老猿は口をつぐんだままだ。

 それどころか、反抗的な目つきで黒常を見上げる。

「ふっ、大した女だ。男に体と媚びを売る妓女にしては、もったいないくらいの肝だ」

 黒常は感心そうにうなずくが、彼は手加減など一切しない。

 むしろこれから行われる戦への高揚感を、老猿という拷問相手に対して積極的に発散させているといっても過言ではない。

 じきに南曲の調査が解禁され、黒常が育て上げた親衛隊が猿たちを一網打尽にする。

 そうなれば、今捕まえている老猿だけを拷問する意味はない。

 ただし黒常はまだ、目の前にいる女こそが老猿だということに、まだ気づいていない。

「お前の仲間たちや、首領である老猿を捕えれば、お前を生かしておく価値はなくなるぞ。その前に情報を吐き、俺に媚びを売っておいた方が良いと思うのだが」

 黒常は木槌を手の中でもてあそびながら、老猿に語りかける。

「どうだ? それが本来の、妓女の役目ではないか?」

 そこで老猿は、わずかに口角を上げ、くすくすとせせら笑った。

「お前ごときが買えるほど、私は安い女じゃないわ」

「ほう。ならば、どうやって値を落としてもらおうかな」

 黒常は老猿の後ろに回り、彼女の指を一本だけ押さえる。

 そして木槌を振り下ろした。

 ごきっ、という鈍い音が鳴る。

 右手の小指がつぶれた。
 神経の集中した指先が、木槌によって骨も肉もつぶれて、凄まじい激痛を走らせる。

 だが老猿はその痛みをこらえ、声を上げることなく、黙ってうつむいたままだ。

「まずは一本。一刻後に、反対の小指をやってみようと思うのだが……何か喋りたいなら、今のうちだぞ?」

 黒常はにこやかな表情を崩さず、老猿に声をかける。

 老猿はそんな黒常を、怒りをこめた目で睨みつける。

「くくっ、まあ良い。今夜はまだ始まったばかりだ」

 そこで、地上の方から声が響いてきた。

「黒常様! 黒常様はおられますか!」

 親衛隊の一人の声だ。

 黒常はその声に振り返り、老猿を捨て置いて階段を上がっていく。
 階段を上がり、床扉を閉めて、敷物で隠してから「入れ」と告げた。

 入口から親衛隊の一人が、息を切らせて入ってきた。

「何をそんなに慌てている」

「そ、それが、あの刺青の博麻が……」

 黒常の目つきが、わずかに鋭くなる。

「博麻がどうかしたのか」

「はい。まだ確証はありませんが、争いごとに巻き込まれて、火事で死んだようです

「なに? いつもの肉体労働をやらせているはずではないのか」

「それが、経緯はまだ調べている途中ですが……博麻はある西方人の狼藉者にかなり恨まれていたようです。そして、その西方人の主である奴隷商、典了にのもとに誘拐され、その後に典了の隠れ家ごと全焼しておりました」

「典了か。ここ数年で幅を利かせている商人だったが……ちなみに、その話の出どころはどこからだ?」

「貧民街の近くに住む女が、事が大きくなる前に出頭してきたのです。その女は典了に雇われて、博麻をおびき出して誘拐する手伝いをしたそうなのですが、典了の一味も倭人も火事で焼け死んだから急に怖くなってしまった、と」

 親衛隊の男の説明を聞き、黒常は腕を組んだ。

「裏は取ったのか」

「はい。すぐに我々も現場に駆けつけたところ、近隣住民たちによって消火されていました。建物は全焼しており、焼け跡から損壊した遺体が何人分も出てきました」

「その中に、博麻のものと思われる死体は?」

「確定できるものはありません。背格好の似ている遺体はありましたが、もはや男か女かもわからぬほど黒焦げで……たかが倭人一人の命などどうでも良いのですが、残った倭人たちも動揺しており、火事の現場に行かせてくれとしつこく……」

「ふむ、この忙しい時に厄介ではあるが……」

 黒常はあごに手を当てた。

 博麻が西方人に恨まれている経緯は、黒常も把握している。

 倭人たちに老猿を捜索せよとの密命を下した日に、博麻はある西方人の盗人を素手で叩きのめしたという。
 駆けつけた唐兵も黒常の指揮下にある者たちだったため、その時の状況は報告されていた。

 博麻らしいな、と報告を受けた時は黒常も思わず笑ったほどだ。

 しかし、その西方人の盗人をたまたま正義感で叩きのめした結果、保釈された西方人に復讐されてしまった。

 余計な正義感が、巡り巡って仇となった。

「いや、待てよ」

 黒常は顔を上げた。

 奴隷商の部下から恨みを買い、その報復に殺される。

 それだけを聞けば筋は通っている。

 だが、なぜ奴隷商の典了の隠れ家が燃えることになるのか、説明がつかない。

 博麻が抵抗して、逃げようとした時に火を放ったのか。

 それとも、典了の一味が火を放ったのか。

「っ⁉……黒常様!」

 その時、親衛隊の男が、黒常を突き飛ばした。

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