『第57話』同時攻撃作戦:熊津城内の戦い
「うむ、お前が城壁を登りきったら、腕に立つ部下も続けて潜入させる。油と火種も渡しておくから、盛大にやってくれ」
「承知したよ」
ラジンは黒歯常之の側近から油壷と火打石を受け取り、それを腰に結んだ。
策を知らない百済兵が気づいた時、ラジンは猫のように兵の間を駆け抜けていった。
敵味方が城門に集中している隙を突き、彼女は城門から少し離れた場所にハシゴを立てかけた。
近くにいた唐兵がハシゴを倒そうとする。
しかし黒歯常之の放った矢が、唐兵の首に突き刺さる。
もう一人の唐兵が駆けつけようとしたが、一瞬早くラジンの剣が届き、ハシゴを押し飛ばそうとした唐兵の指が飛んだ。
ラジンはそのまま城壁に到達、指を切り飛ばした唐兵にとどめを刺し、続いて群がる唐兵たちを斬り捨てる。
「黒歯常之どの!」
ラジンは城壁の下にいる黒歯常之の方に振り向いた。
「約束は守る! あなたも、筑紫隊を救ってくれ!」
「ああ! ……お前たちも行け! 城を火の海に変えてこい!」
黒歯常之の命を受け、屈強な百済兵たちがハシゴに飛びつく。
ラジンはその間も唐兵たちに襲いかかった。
城を占拠するには多くの兵を必要とするが、城内を荒らして燃やすだけなら、少人数が潜入して短時間で達成できる。
「どけ! どけぇえっ!」
ラジンは唐兵たちを斬りつけながら城内を駆け抜ける。
熊津城の中も、周留城と大して変わらない造りだった。
城壁の内部は広大な敷地となっており、そこに陣幕や城館などが建っている。
大半の唐兵が城外にいるとはいえ、数人のラジンたちからすれば、城内に残っている唐兵たちは大集団だ。
まともに戦えば囲まれて殺されるだけなので、足を止めずに走り回ってかく乱するしかない。
後ろに振り返れば、黒歯常之の部下たちも走りながら武器を振り回している。
一人一人がなかなか腕利きらしく、下手に囲まれて殺される者は今のところいない。
「死ね! 小僧っ!」
一人の唐兵が槍を突き出してきたが、ラジンはそれをかわし、すれ違いざまに首筋を斬った。
太い血管をきれいに切断されたことで、唐兵は鮮血を噴き出して倒れた。
ここで余計な時間を割くわけにはいかない。
こうしている間にも、ラジンたちに気づいた唐兵たちが陣幕や厩舎から顔を出し、武器を取って迫ってくる。
あくまでラジンの目的は、博麻と薩夜麻を助けることだ。
敵兵一人一人に構っている暇はなく、なるべく大きな建物に火を点けて、城外の唐軍の目を惹きたいところである。
ちなみにラジンが腰にぶら下げている油壷は二つのみで、一つとして無駄にはできない。
「あれか!」
ひたすら奥へ走ってきたラジンの目に、ひと際大きな城館が映った。
間違いなく城の本丸と呼ぶにふさわしい。
戦時中でどこまで役に立つのか微妙だが、あの城館に火の手が上がれば、城外の唐軍も慌てふためくだろう。
ラジンは最奥の城館に狙いを定め、さらに速度を上げて駆け抜けた。
立ち塞がろうとする唐兵や新羅兵もいたが、ラジンは無言で急所を斬り裂き、ほとんど目もくれずに走り続ける。
いくつもの門を通り抜け、単身で城館にたどり着いた。
城館の入口には二人の唐兵がいた。
一人が先に槍で突いてきたが、その槍を踏みつけて体勢を崩し、袈裟懸けに斬り捨てる。
もう一人も槍を構えていたが、ラジンが近づくたびに足をすくませ、ほとんど抵抗らしい抵抗もできずに斬り殺された。
城館に入ると、広間はがらんとしていて、人の気配は感じられない。
ラジンは広間の奥に進む。
内部は装飾などが凝っている。
多少の古さや傷みも見受けられるが、高貴な人間が居住していたらしい。
さっそく腰に下げた油壷の栓を抜いて、火を放つことにした。
「おい、そいつはよくないな」
声が聞こえ、その場から飛び下がる。
柱の陰から伸びてきた刃が、ラジンの鼻先をかすめた。
「おおっ……意外に速いな」
驚いた顔で柱から出てきたのは、長剣を握った一人の若者だった。
若者は背が高く、痩せている。
鎧兜は着けておらず、動きやすい戦装束を着ている。
薄くあごひげを伸ばし、髪をきれいに後ろで束ねているため、武装してなければ文官かと思うほどだ。
「お前、新羅兵か」
目の前の若者が新羅語を使っていたため、ラジンも新羅語で問いかけた。
「へえ、君も新羅の言葉を使うのか」
若者が意外そうに声を上げる。
「島国の蛮族らしい刺青をしているのに、おかしな少年だ」
くすくすと笑いながら、若者は剣を構えた。
「ちなみに俺は兵ではないが……まあ、訳があってここに身を寄せている新羅人だ。この城が燃やされたら困るから、相手させてもらうよ」
若者が持つ剣は、ラジンよりも長い。
また一般の兵が持つものより光沢があり、良質な剣のようだ。
ラジンは油壷を後ろに投げ捨てる。
壺が割れて中身が盛大にこぼれるが、火を点ける暇はない。
ラジンも剣を構えた。
血のしたたる刃を、目の前の若者に向ける。
両者はじりじりと間合いを測るが、先にラジンが動いた。
一瞬で距離を詰め、若者の首を狙う。
若者はそれを受け止めて、力強く弾き返してから反撃を仕掛けてくる。
ラジンはそれをさらに受け流し、胴体、首を問わずに連続で斬りかかる。
「うおっ、こいつはすごいな」
ラジンの太刀を何度も受けながら、若者は声を上げた。
その様子を見て、ラジンはむっとした。
本気で殺そうとしているのに、若者にはまだまだ余裕がある。
ラジンはさらに剣の勢いを高めた。
相手の長剣をへし折るような勢いで斬りかかり、反撃する時間さえ与えない。
「はあああっ!」
ぞっとするほど鋭い斬撃が、次々と若者に襲いかかる。
若者は静かに後退しながら受け続けた。
ラジンが剣を振るうたびに、これまで殺した兵たちの血潮が飛び散る。
だが、いまだ若者に傷はない。
ある一撃を最後に、ラジンは飛び退いた。
さすがに呼吸を整えなければと思い、一旦呼吸を整えようとした。
しかし、まるでそれを読んでいたかのように、途端に若者が迫ってきた。
今度はラジンが受け続ける番になった。
若者も俊敏に剣を振るい、ラジンに休みを与えず斬りかかる。
「こうかな」
「くっ⁉」
若者の太刀筋が変わった。
先ほどまでも素早い連撃を浴びせてきたが、だんだんと激しさを増していく。
その動きは、先ほどのラジンの剣にとても似ていた。
「なめるな!」
ラジンが吼える。
若者の剣を受けながらも、反撃の隙をうかがって剣を振るう。
お互いに隙を狙いながら打ち合う形となり、両者の間で何度も火花と金属音が瞬く。
「ちぃいいやっ!」
「つあっ!」
ラジンと若者の一撃がぶつかる。
つばぜり合いの形となり、ぎしぎしと金属どうしが擦れる。
「くくっ、すごい少年だ。倭の軍はこんな若い剣士ばかりなのか?」
剣と剣で押し合っている最中だというのに、若者は楽しげに語りかけてくる。
「だま、れっ……!」
「黙らないよ。せっかく雇われたのに、最近はまともな相手が来なくて退屈だったんだ」
雇われたと聞き、ラジンは一瞬驚いた。
「そらっ」
その隙を見逃さず、若者はラジンの腹に膝蹴りを入れてきた。
倒れこみそうなほどの痛みだったが、ラジンは歯を食いしばってこらえ、半ばやけくそに剣を振り回して若者を遠ざけた。
「うおっ、手応えあったのに。見かけによらず頑丈だな」
若者は距離をおいてから、呆れたように首を振った。
「お前……雇われたということは、どういうことだ?」
腹を押さえながら、ラジンは尋ねた。
「そのままの意味だよ。金持ちに腕を売り、決められた期日までは己の腕前で武功を上げる。武功を挙げたら自分の名と一緒に、雇い主の名も宣伝する。そういう契約だ」
「つまり唐の貴族に雇われた、新羅の傭兵ということか」
「違うよ、俺の雇い主は新羅の軍人だ」
「なに?」
「そりゃ唐の人間のほうが羽振りは良いけど、あいつらは新羅人をまともな値段で雇わない。逆に新羅はこの戦で影が薄いから、みんな俺たちに期待をこめて報酬を上げてくれる……なるべく将を討ってくれ、唐軍から手柄を奪ってくれ、とね」
肩をすくめて、若者は小さく笑った。
「まったく平民には理解できない感覚だよ。自分たちの領土のため、名誉のため、そのためなら国が疲弊しても軍を出す。軍さえもまともに動かせなくなれば、素性も知らぬ人間にすら大枚をはたくんだから」
「だったら契約を破っているじゃないか。百済と倭の軍勢が同時に攻めてきたのに、お前だけ城の奥で怠けていた」
「ぷふっ、こんな年下の子に叱られるとはね。でも、こう見えてけっこう頑張ってきたんだぞ? 百済を滅ぼした時の戦なんか、俺が兵隊を率いていくつも村を焼いたんだから」
村を焼いたと聞き、ラジンの表情が凍った。
若者はその変化に気づいていないのか、話を続ける。
「だから俺は、今の雇い主にかなり気に入られているんだ。今回の戦で多少怠けるくらい、大した問題じゃない」
「お前、もしかして南昌の村を焼いたことがあるか」
「南昌?」
焼いた村の名をいきなり問われ、若者は天井を仰いで考えこむ。
「……ああ、もしかして百済南部の国境に近い村のことかな? たしかに俺はあそこで戦っていた。少し記憶に自信はないけど、その地方も雇い主と一緒に滅ぼしたはずだ」
「雇い主と一緒、か」
ラジンは目を閉じ、大きく息を吸ってから、鼻からゆっくり吐いた。
再び開かれた目は、かつてない怒りで爛々と燃えていた。
「お前を雇った軍人は、張堯という将軍か」
ラジンがその名を口にした途端、若者の顔に少し緊張が走る。
「おいおい、どういうことだ? 倭の人間が、どうしてそこまで知っている?」
「言い忘れたけど、僕は倭人じゃない」
ゆらり、と剣を構えた。
「僕の名はラジン……お前の雇い主を殺す者だ」