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『第1話』挙兵:百済の使者
ひどい顔だ、と官吏は思った。
官吏のすぐ後ろを、若い僧がついてきている。
まだ二十歳も過ぎていない僧侶の顔はやつれていて、死人のような血色をしている。
身元を知っていなければ、病を患った老人かと見間違えてしまうだろう。
見つめすぎるわけにもいかないため、官吏は顔を前に戻した。
後ろにいる僧の気持ちを思えば、こちらも暗澹たる気持ちになってくる。
戦によって故郷を引き裂かれるとはこういうことなのかと、官吏は胸を痛めた。
官吏と僧は、板の張った渡り廊下を進んでいる。
南へ目を向けると飛鳥の都が広がり、さらにその先は美しい景観が広がっている。
秋の気配が深まった飛鳥の山々は赤く染まり、平原いっぱいに広がった黄金色のススキが、秋風に揺れて波打っている。
ふと、若い僧が立ち止まった。
前を歩いていた官吏もそれに気づき、足を止めた。
「どうされた、覚従(がくじゅ)どの」
官吏が話しかけても、覚従と呼ばれた僧は呆然と都をながめている。
さわやかな秋晴れの下で、今日も至る所から炊煙が立ち昇っている。往来を人々が歩き、働き、いつも通りに過ごしている。
それを見た覚従の目には涙が浮かんでいた。乾ききった唇を震わせ、さめざめと泣いた。
見ていられないと思いつつも、官吏は態度を律して、涙を流す覚従に呼びかけた。
「しっかりなされよ。貴殿には、大きな役目がある」
官吏の言葉を聞いて、はっと覚従は我に返った。
官吏が念を押すようにうなずく。
覚従も涙を拭いてからうなずき返した。
まだ覚従の目元は赤いが、わずかに生気が戻っていた。
二人は廊下を進み、寺の本殿を通り、鎮座する釈迦如来像に拝礼した。
僧である覚従はもちろん、彼の案内役となった官吏も、心を尽くして拝んだ。
大いなる災いの訪れ、そして時代の転換となる一日に対して、祈らずにはいられなかった。
寺の門を出て、山の中に伸びた石段を下っていく。
山寺は都の北西に位置し、宮殿は都の中心にそびえ立っている。
建築物は唐の仏殿の影響を受けており、碁盤のように整然と建物が並ぶ飛鳥の都は、唐の長安の区画に似ている。
ここが倭国の都、飛鳥京(あすかきょう)である。
都を見渡した覚従は、ここが海の果てにある島国とは思えなかった。
この国に流れ着いた当初は生き延びることに必死で、とにかく都に連れて行ってくれと訴えた。
都へ向かう途中も山が多く、本当にこの先に都があるのかという疑いの言葉を、護衛に何度も投げかけてしまった。
しかし、こうして冷静になれば、倭国は想像以上に栄えていると実感した。
都を護衛する兵士の装備は充実しており、民の身なりも荒れていない。
港には多くの船が停泊し、寺でのもてなしも非常に手厚いものだった。
これから覚従が謁見するのは、急進的に発展した倭国の天皇である。
必死な想いでここまで来たものの、自分が使者で大丈夫なのかという不安も湧き上がってきた。
広大な都を歩き続け、ついに覚従は宮殿の門前に着いた。
いつの間にか住民たちが集まっており、悲壮感ただよう覚従の顔を見て、ただならぬ会見が始まるようだぞと話し込んでいる。
それを耳にした覚従はまたも驚いていた。
集まっている民は老若男女問わず、覚従や官吏のことを話している。
彼らの多くは覚従が異国の人間だと気づいており、海の向こうで戦が起きたのかとこぼす者さえいた。
身分問わずに一定の教育が行き届き、国外のことに関心がなければ出てこない言葉だ。
官吏は門番に話しかけ、二、三言の連絡事項を伝えると、門番は木造の巨大な門を開け放った。
民たちは宮殿の様子が気になったが、官吏と覚従が門を通ると、兵士たちは機敏な動きで門を閉じて、中の様子を見せなかった。
宮殿の広大な敷地に入り、二人はさらに奥へと進む。
敷地内には多くの官吏が務める役所がいくつも建ち、この役所もまた唐風の建築様式にならっている。
覚従が訪れた理由はすでに伝わっているらしく、何人かの官吏と目が合ったが、彼らの表情は固かった。
宮殿の階段を上がり、最奥の広間に着く手前で、案内役の官吏が立ち止まり、覚従の方に振り向いた。
「よろしいか、覚従どの」
官吏が尋ねると、覚従は大きく深呼吸してから、ゆっくりうなずいた。
それを見て、官吏はのびやかに声を張り上げた。
「百済(くだら)の使い、沙弥覚従どのが謁見いたします!」
その言葉の後に、覚従は大広間に足を踏み入れた。