第62話『達成』
それから数週間、博麻の処遇に関して、何度も議論が交わされた。
唐帝国の法に照らせば、論じるまでもなく死刑になるはずだ。
しかしこの一件は単なる放火殺人ではなく、これからの唐帝国の軍事行動、外交政策にも関係している。
そのため正式な死刑を下して良いのか否か、高官たちの間でも意見が割れた。
一方はただちに死刑にすべきと主張する。
唐帝国に逆らった人間を生かしておいては、今後の統治に悪影響が出るという考えだ。
もう一方は、逃げた倭人たちを捕まえるまで人質として生かしておく、という主張だ。
今さら博麻一人を処刑しても、何も利益は生まないという考えだ。
だが、その議論は意外な人間の手によって、終止符を打った。
「……黒常か。久しぶりだな」
ある日、牢にいる博麻のもとに、黒常が現れた。
劣悪な環境に置かれた博麻と違い、黒常は適切な処置を受け、あの夜に受けた傷はほとんど治っていた。
黒常が来ても、博麻は座ったままだった。
顔を上げただけで、特に驚くことはなかった。
いずれここに顔を出すだろう、と予期していたためだ。
「大したものだよ、お前たちは」
黒常がそう言って、疲れたように息を吐いた。
博麻は少し考えてから、その言葉の意味を理解した。
「あいつら、逃げきったか」
博麻が問うと、黒常は眉間に皺を寄せた。
彼の目には悔しさと、どこか観念したような感情が浮かんでいる。
黒常は博麻に、これまでの外の情勢を、事務的に伝えた。
薩夜麻たち四人は倭国へ到着後、大宰府長官である阿倍比羅夫に、件の文書を献上した。
唐と少しずつ国交を取り戻していた途中での出来事だったため、ただちに倭国の朝廷は警戒措置を実行し、唐の使者たちも一時的に帰国を余儀なくされた。
国家断交、とまでは行かなかったが、倭国の朝廷は厳戒態勢を取り、その様子を唐の外交官は長安に報告した。
倭国に対して侵略戦争を仕掛けることは、現状では不可能。
この外交官の報告を受けて、倭国に対する電撃作戦は、事実上の崩壊となった。
「高官どもは今日も上から下へと大騒ぎだよ。倭国侵略計画は白日の下にさらされただけではなく、新羅との戦も劣勢が続いている。逆に倭国と新羅は急速に国交を回復しており、ある時期から新羅軍の物資が尽きなくなった……東へ侵略する国家方針が、お前たちのせいで台無しになった」
黒常の話を聞き終えて、博麻は微笑んだ。
心から満足だった。
仲間は生き延び、故郷は守られた。
戦を未然に止めて、大勢の人間が死ぬ未来を防いだ。
「それで、俺はいつ処刑されるのだ?」
まるで明日の朝食を聞くような口ぶりで、博麻は自身の処遇を尋ねた。
薩夜麻たちが帰国できたことで、博麻を生かしておく理由はなくなった。
博麻もそれを承知している。
自分は明日にでも処刑されるのだろうと、そう考えていた。
できることなら苦痛のない死刑方法が望ましいが、それも期待はしていない。
凌遅刑か、牛裂き刑か、おそらくはこの辺りになるだろう。
もしもそういった処刑ならば、先に自害しよう。
すでに博麻は、そこまで覚悟を決めていた。
その博麻に、黒常が言い放った。
「お前は処刑されない」