第30話『発見』
この大屋敷の階層は四階まである。
一階は宴会場のある大広間で、二階、三階は個室の部屋がいくつもある。
四階は庭園を見渡せる展望台で、壁や窓のない、屋根だけの階層となっている。
氷老と老猿が倭国侵略計画の文書を探すのは、二階と三階だ。
ただし、その階層は皇后派の人間が出入りする場所となっている。
他の派閥に聞かれてはならない密談を行う場合もあれば、お気に入りの妓女を連れ込む場合もある場所だ。
どちらにせよ氷老と老猿がうろついてはならない区域だ。
見つかれば、侵入者として捕まる可能性も大いにある。
「今のところ、人の気配はないわね」
「うむ、宴会もまだまだ盛り上がっているからな。これは好機だ」
二人は恐れず、文書の捜索に乗り出した。
部屋の扉の前に立ち、中の様子に聞き耳を立ててから、侵入する。
部屋ごとに用途が違い、密談に向きそうな円卓のある部屋、寝台のある部屋、物置など、様々な部屋がある。
それを一部屋ずつ、効率よく調べていくしかない。
さすがに物置のような部屋に文書はないだろうと思いつつも、見逃してしまえば元も子もない。
二人はどの部屋でも、丁寧かつ素早く文書を探していった。
この間も、高官たちが階段を上がってここに来るかもしれない。
文書の捜索に気を取られすぎて鉢合わせするようなことがあれば、それこそ一巻の終わりだ。
そのような緊張状態の中でも、氷老と老猿は、懸命に文書を探した。
「この二階には無さそうだ」
氷老は二階最奥の部屋を探し終えて、老猿に報告した。
「なら、次は三階ね」
二人は同じ要領で、慎重かつ急いで廊下を進み、階段を上って三階に着いた。
ここでもやることは変わらない。
探し漏れのないように家探しをしつつ、こちらに近づいてくる足音がないかどうか注意を払う。その繰り返しだ。
二階でもそうだったが、三階も人がいないため、廊下も部屋も暗い。
老猿が小さな燭台を持ちながら捜索作業に取り掛かっているが、それでもかなり暗い。
二人はうす暗い空間の中で、血眼になって棚を開け、敷物を剥がし、窓掛け(カーテン)の裏を探る。
時には隠れる場所のない部屋の中を探った。
そういった部屋で文書を探している時は、ここで誰かが来たらおしまいだと腹をくくった。
捕まるかもしれない恐怖を押し殺して、ただひたすらに計画文書を探すしかない。
そして三階の部屋も残り一部屋となった。
探せど探せど文書が見つからないため、二人の心の中に、この大屋敷はハズレかという落胆の想いが湧き出てきた。
しかし二人は最後まで手を抜かず、最後に残った寝台のある部屋の中を捜索した。
そこは高官が妓女を連れ込むための部屋だった。
寝台、化粧棚、鏡があり、部屋のすみには香炉も置いてある。
「ん? これは……」
ある化粧棚の奥にあった木箱を開けると、そこには巻物があった。
氷老は少し緊張した手つきで、その巻物の紐をほどいて、丸まった紙を広げた。
「……あったぞ」
彼のこの一言に、別の戸棚を探していた老猿が手を止める。
その言葉だけで、すべてがつながる。
老猿は息を呑み、ささっと氷老に近づき、巻物の内容をのぞきこむ。
「旧百済領への軍船配置……食料の集積場所……対馬と筑紫への侵攻日程っ……!」
文章の内容を飛ばし飛ばしで読み、氷老は確信した。
これこそ間違いなく、倭国侵略計画の内容を記した計画書だ。
内容を読めば、百人中百人が倭国侵略計画は真実だと判断するだろう。
極め付きには、皇后派の人間の直筆署名がある始末だ。
言い逃れのしようのない、物証だ。
「老猿、これさえあれば……!」
「ええ、倭国侵略計画の全貌がわかり、なおかつ倭国の朝廷を動かすことができる……この文書を手に入れた上で防御を固めたら、たとえ唐軍が十万隻の水軍で来たとしても、簡単に跳ね返すことができるわ」
老猿と氷老は互いに喜びを抱きつつも、その場で大きな声を上げることなく、すぐさま次の行動に移した。
「老猿、これを木箱に」
「ええ」
氷老は懐からもう一本の巻物を取り出し、老猿に渡した。
これは即席で作った偽の計画文書で、内容も氷老が即興で考えたものだ。
偽物とはいえ、文の内容自体は意外にもしっかりしている。
もしも倭国侵略について書くなら、このような感じだろうと考えて書いたため、白紙の偽物を置いておくよりもバレにくいと言える。
「これで良いわね」
老猿は受け取った偽の巻物を木箱に入れて、木箱を元の位置に戻した。
「それと、この本物の巻物は、お前が持っていてくれ」
氷老は老猿に、計画書の巻物を渡した。
「え? でも、これはあなたが」
「俺は後からこの作戦に乗っかっただけの男だ。こんな大手柄、俺の手にはふさわしくない。お前は女だてらにこの都に潜入し、私たちの故郷の危機を報せてくれた……頼む。これはお前が見つけたのだと、博麻や薩夜麻にもそう伝えてくれ」
計画書を見つけたのは氷老だが、彼自身はそれを誇るつもりはさらさらなかった。
今の自分は、博麻や老猿と同じ志を抱いているが、後から加わっただけの男だという負い目もあった。
たしかに今回は、自分の情報提供により、この計画書までたどり着いた。
しかし、あくまで自分は最後の最後に手伝っただけに過ぎない。
最も危ない橋を渡ってきたのは博麻と老猿なのだ、と考えていた。
老猿は納得して、巻物を着物の中に隠した。
「わかったわ……でも、あなたがいなければ、この計画書を見つけられなかった。それは事実だと私は思うし、感謝しているわ」
「……うむ。俺はそれだけで、充分だ」
義理堅さと、奥ゆかしさから来るものだろうか。
そこの頑固さは、どこか博麻にも通ずるものがあると、老猿は思った。
「さて、長居は禁物ね」
「そうだな。急ぎつつ、何食わぬ顔で退散しようか」
二人は部屋を元通りに整え、早々に退室した。
男女二人でいれば怪しまれにくいが、それでもこの三階部分は、皇后派の人間しか出入りできない場所だ。
もしも皇后派の人間に見つかり、この階層まで上がってきた理由を問われれば、面倒なことになってしまう。
「よし、廊下には誰もいない。今のうちに二階まで降りるぞ」
「ええ」
氷老が廊下を覗いて様子を見てから、二人は身を寄り添わせて歩く。
これなら見つかっても、逢引きをしていただけだと咄嗟にごまかせる。
二人は足早に、音を立てずに廊下を進む。
この大屋敷は広く、どの階層にも多くの部屋がある。
いつ、どこで、どの部屋から官僚や軍人が出てきてもおかしくない危険な場所だ。
幸いなことに、一階での宴会がまだまだ盛り上がっている最中のため、上の階層に上がって来る人間は少ないはずだ。
「よし、あそこの階段を下りれば」
氷老と老猿はわずかに歩調を早めつつ、階段へ向かい、急いで下りようとした。
だが、階段の途中で、足を止めた。
「氷老? どうしてお前が、ここから下りてくるのだ」
「こ、黒常、殿……!」
その階段を下りた先にいたのは、黒常だった。