『第139話』戦の結末:決別と捕縛
三日後、博麻と薩夜麻が周留城に到着した。
唐軍に見つからないために、山道を大きく迂回して、日にちをかけてやっと着いた。
だが、二人の目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。
「なんだ、これは……!」
「なんという……もはやこれは、廃墟……」
二人は呆然とした。
強固な城壁も、門も、高さのある物見やぐらも、崩壊している。
陣幕はすべて燃え尽きていて、城内には百済兵の死体が散乱している。
完膚なきまでに滅ぼされた周留城が、二人の目の前に広がっていた。
「唐軍が、やったのでしょうか」
「いや、それにしては、おかしいことが多い」
博麻は城内を進んでいき、転がっている死体を確認した。
「百済の将だ。名は知らんが、執得一派だったはずだ」
「そうですね」
「背中から一突きで殺されている。他に傷はない」
「逃げながら、槍で刺されたのでしょうか」
博麻は首を振った。
「籠城戦だぞ。一目散に逃げるような行動はとらないはずだ」
そして博麻は立ち上がり、辺りを見渡す。
「それに、唐軍の人間がいないのもおかしい。これほどの城を攻め落としたのなら、城内に陣幕を建てて拠点として使うだろう」
そこで薩夜麻は、ハッとした。
「兄貴、つまりそれは……」
薩夜麻が何かを言いかけたところで、二人の後方から足音が近づいてきた。
二人が振り向くと、そこには黒歯常之が立っていた。
彼の鎧は煤けており、損傷も多い。
かなり激しい戦いを経たのだろう。
そして当然、彼の右手には、愛用の大槍がある。
「生きていたのか、博麻、薩夜麻」
「ああ……黒歯常之、あんた一人か」
「そうだ」
黒歯常之はうなずいた。
その顔には悲しみがあった。
だが、どこか冷笑するような表情にも見える。
彼の様子がおかしいことに二人も気づいたが、博麻は気にせず話し続けた。
「城門も燃えていたが、破壊されず、まるで内側から開け放ったみたいになっていた。この城も、この陣幕も、どれも荒れ方が何かおかしい」
「そうか」
黒歯常之はなんでもなさそうな様子で、相槌を打ってきた。
「この百済の将の死体……ただの槍の傷ではない」
博麻は近くにあった百済兵の死体に、目を向けた。
「背中から大槍で一突きだ。まるで、予想だにしない人間から貫かれたかのように」
「ほう、面白いな」
黒歯常之は微笑みを浮かべたが、目は笑っていない。
「答えてくれ。あんた、何しに一人でここに来た?」
「ふっ、もうわかっているのだろう。お前たち二人を説得するためだ」
「唐軍に投降するように、か?」
「察しが良いじゃないか」
博麻に真意を当てられても、黒歯常之はうろたえなかった。
当たり前だ、と言わんばかりの態度だ。
はたから見ていた薩夜麻は、あまりにも豹変した黒歯常之に、うすら寒いものを感じた。
「断る。俺も若も、唐軍につくことはない」
博麻は首を振った。
真っ直ぐ黒歯常之を見据えて、強く拒否した。
しかし、黒歯常之は哀れなものを見るかのような、視線を向けてきた。
「考え直すんだ、博麻。倭軍も百済軍も滅んだ。かろうじて生き残った倭の軍船も、お前たちを救いに来ることなく、倭国へ逃げ帰っていった。お前たちが生き残るには、もう唐軍にすがるしかない。倭国の皇太子も、どうせお前たちを助けない」
「以前のあんたとは別人だ。あんたから戦の現実を教えてもらい、俺は戦場で戦ってきた。そんなあんたが、こんなにも腑抜けたことを吐くとはがっかりだ」
「お前に何が分かる。大将は派閥争いで死んだ……兵は逃げていく……王すらも行方をくらました……あまつさえ民も、俺を裏切る始末だ」
黒歯常之の瞳は暗く、淀んでいた。
以前から、彼の瞳には暗い何かが宿る時があった。
それはすぐに見えなくなったが、その時と同じ目をしている。
彼が心のうちに押さえつけていた不満、絶望が、完全に表のものとなってしまったのだ。
「心底、呆れたよ。こんな国、守る価値などなかった」
これこそが、黒歯常之の本音。塞いでいた、黒い感情。
「本気で、言っているのか」
博麻は腰の剣を抜き、黒歯常之の方に切っ先を向けた。
「それでもあんたなら、弱き者たちを守るために戦い続けたはずだ! あんたは以前の自分に立てた誓いを破るのか?」
「誓いなど、とうに捨てた。執得の首をはね、民も、将兵もこの槍で殺したあの日から、もう俺は百済の人間ではなくなった」
黒歯常之は、手を差し伸べてくる。
彼と博麻たちの距離は、まだ少し遠い。
「共に来い、博麻。他の倭軍も逃げたのだろう? もう何もかも終わったんだ」
「……いいや、終わらないさ」
博麻は剣を構え、薩夜麻もそれに続く。
最後に残った二人の倭の戦士が、黒歯常之に対峙する。
「なら、これならどうだ」
黒歯常之が手を挙げると、物陰から唐兵たちが現れた。
博麻たちはそちらにも身構えたが、唐兵たちは襲いかかってこなかった。
敵意のない唐兵たちを見て、二人は拍子抜けしていたが、すぐに驚くこととなった。
さらに唐兵たちが続々と現れ、縛った土師を連れてきたのだ。
土師は傷だらけで、意識を失っている。
切り傷、火傷、矢傷と、生きているのが不思議なほど満身創痍だ。
人質となった土師を見て、博麻は激怒した。
「そこまで落ちたか……黒歯常之!」
「なんとでも言え。知らないようなら教えてやる。これも戦争の現実だ」
博麻が怒鳴っても、黒歯常之は顔色を変えない。
「唐軍のやつらによると、こいつも最後まで抵抗してきた男らしい。お前たちと同じく、諦めの悪い男だったと」
黒歯常之は腰の剣を抜き、動けない土師の首筋に刃を当てた。
「っ……やめろ!」
「それはお前たちの態度次第だ。お前たちが諦めれば、それで丸く収まる」
黒歯常之と博麻の視線がぶつかる。
今にも食ってかからんばかりの目つきをした博麻に、土師を押さえつけている唐兵たちの顔もこわばる。
「投降しろ。お前たちにできるのは、それだけだ」
こうして博麻と薩夜麻は、唐軍の捕虜となった。
半島に残っていた最後の倭軍が、この日ついに全滅した。
~ 本章に続く ~