想像してなかった未来、まさしく目の前にいる僧侶になった旦那である。
今、私の目の前には、僧侶となった旦那がいる。
つるりとした頭で、のんきにお茶をすすっている。
5年前、10年前にはこんな姿は全く想像していなかった。なぜこんなことになっているのか。
その話を始める前に、まずは私たち夫婦の簡単な自己紹介をしようと思う。
私たち夫婦は、8歳の歳の差夫婦。出会いは職場だ。偶然どちらも実家が寺だったことから意気投合し、結婚。2人の子に恵まれた。お互い実家を継ぐなんてことは考えることもなく、旦那の実家のそばに家を建て、毎朝旦那と子供を送り出し、幼稚園の送迎の合間に家事をする。そんな日常を送っていた。
結婚して9年目、転機は急に訪れた。私の父が余命宣告を受けたのだ。
私の父は、長年がんを患っていた。がんと聞いた当初は、動揺こそあったものの、長年の闘病生活と、父も元気でいてくれたことから、いつのまにか父のがんは生活の一部のようになってしまっていた。
ある日、話があると呼ばれていくと、父はこう言った。
「俺、余命3ヶ月やねんて。2人でお寺継いでくれへん?あ、返事はなるべく早くしてな。俺死んでしまうし。」
軽かった。
でも、内容は、とてつもなく重かった。
その日からの私の感情は、ジェットコースターのようだった。父が死ぬことに対する恐怖に不安。今後の生活がどうなるのか、継がなかったらどうなるのか、継いだら家や学校はどうする?
道を歩いても、ごはんを食べていても、ポロポロと勝手に涙がこぼれ落ちてくる。その間のことは、正直よく覚えていない。私は、ただただオロオロと泣くことしかできなかった。
最終的に決めたのは旦那だ。私以上に迷っているだろうと思っていた旦那の答えは、初めから決まっていたらしい。
「僕は結婚する前に、2回寺を継ぐ話を断ってる。今回で3回目。人生で3回もこんな話をもらうということは、仏の道に入る運命なんだと思う。だから僕はあなたの実家を継ごうと思う。」
そう言って、その場で父に継ぐと返事をした。
父は亡くなり、修行も終え、正式に寺を継いでから早10年が経つ。
スーツで通勤していた旦那は、頭を丸め、法衣を着て、毎日お経を唱えている。もうどこからどう見ても立派なお坊さんだ。
父の余命宣告を聞いた日から、ずっと続いていたフワフワした雲の上を歩いているような感覚は、いつのまにか消え、気づけば頼りないながらも踏みしめることができる道が、今私の足元には確かにある。
今、私はあのころ想像もしてなかった未来にいる。怖くて怖くて想像することなんてできなかった父のいない未来。でも歩くしかなくて、足元だけ見て進んできた未来。
だからこそ、こう思う。先をみること、未来を想像することも大事だけれど、足元だけ見て、ただ一歩ずつ歩き続け、ふと顔を上げたときにある未来も悪くないと。想像以上の世界がそこにはあるかもしれない。
のんきな顔でお茶を飲むつるりとした頭の旦那を見てしみじみとそう思うのだ。
#想像していなかった未来