神戸マラソン備忘録
1、2、3、…、4、…、5、……、6、7、8、……
「あるぞ…、これはワンチャンあるぞ…!」
それまで抑え付けてきた感情が脳を揺さぶる。
神戸マラソン19km、折返し地点。
来た道を10kmほど戻るコースでは、対向車線に先頭選手を確認することができる。
1〜5位は海外招待選手、日本人トップは6位で3人がまとまっている。そこからしばらく間が空いて大集団。僕はそこからさらに遅れて第3集団で走っていた。
前の集団とすれ違ってから折り返し地点まで20秒、つまりその倍の40秒差ということになる。
時間は遡ること1時間と少々、スタートラインに並んだ僕は11月の冷たい空気の中にいても、陽の暖かさを感じていた。前日まで吹き荒れていた強風は示し合わせたように落ち着き、絶好のコンディションを用意してくれたが、嵐の前のような静けさに僕の心は揺らいでいた。
本日の目標は8位入賞。この3ヶ月、それだけを狙ってトレーニングを積んできた。しかし2週間前に発表された招待選手を見ると格上タイムがズラリ。話が違う。昨年までの結果ならば、僕の持ちタイムでも十分に入賞が狙えたはずなのに…!
無難に自分のペースで走ろうと軌道修正を余儀なくされたが、内心ではまだ日本人8位を狙っていた…。
スタートから1km、3分12秒。予定通り。ここから少しペースを緩めて同じくらいの人を見つけよう。
しばらくすると3分20秒前後の集団が形成され、その後方で待機した。
7km地点、集団が前後に分かれ後ろ側に取り残されそうになったため、すぐにペースを上げて前に追いついた。だがしばらくすると、みんな追いついてきて、また一つになる。
この時点で「この集団は十分走力がある」と判断して、これ以降の揺さぶりは無視することに決めた。この集団がオーバーペースで無理しているのか、ちゃんと2時間20分を狙ってるのかによって、見限るべきか乗っかるかべきか変わってくる。
グッとペースを下げて最後尾まで下がる。この一連の動作で多少体力を消耗するが、集団内の各選手の動向を知れたので十分だ。(集団の前方にいると向かい風の影響を受けやすく、また全体の動きが見えないため細かいペース変動に対応せざるを得なくなる。)
数キロおきに腹圧が抜けてないかだけ気にしつつ、しばらくはそのまま走り続けていく。3分20秒ペースから少し遅れているが、後半が追い風であることを考えるとここで無駄に力を使うよりペースアップに備えるべきだろう。
16kmあたりで監督の声がはっきり聞こえる。いたって冷静。小刻みに現れる登り下りで大臀筋の力感を確認しつつ、どこでペースアップしようか考えているとチームメイトが痺れを切らし集団を引っ張り始めた。「ナイス!」これ以上ペースダウンされると困る。申し訳ないが僕は体力を温存させてもらうよ。
そうこうしてるうちに折返し地点に近づいていた。大会運営車が通る。
ここで冒頭に戻るのだが、もう一度状況を整理しよう。日本人トップ集団は6〜8位。その後ろの大集団は9位グループ。さらに遅れること40秒に僕らの集団。つまりこの差40秒を詰めれば9位グループで走ることになる。(あとから確認したら20km地点で38秒差だったので目測はおおよそ正しい。)
8位とはかなりの差があったが、仮に誰かがオーバーペースからの失速となれば…。あるいはアクシデントからのリタイアの可能性もある。そうなれば8位グループへ繰り上がりとなるため、その集団を制したら入賞だ。
一見、他力本願とも思えるが、チャンスが降ってきたときに掴み取るのは最後まで自分を信じて抜いた者だけだ。駅伝で身に染みたこのマインドを持つ僕の目には、見えない希望の糸がハッキリと映っている。
「チャンスだ!早く行け!」と捲し立てる感情の波が、心なしかピッチを速める。足が詰まる。心を落ち着かせ、折り返しを越えてから冷静に周囲を見渡す。
スーーー。同じことを考えたのか、2人の選手が明らかにペースチェンジした。そのうち前を行く選手のゼッケンを見ると、昨年の日本人1位の方だった。まず間違えなく同じ目的である。すなわち9位グループに追いつくことだ。
当然、僕もギアを上げピッタリと喰らいつく。同時に何人か反応したようだが、1kmもしないうちに離れて3人旅となった。このタイミングを想定してなかった人が咄嗟に反応したところで、ついて来れるはずがない。
時計に目をやると現在速度は3'07"/km。大丈夫、このための練習をしてきた。
これまでのマラソンは、呼吸の前に足が限界を迎えてきたが、今この瞬間はいつになく呼吸が上がっている。"レース"が出来ている。楽しい。
ハーフも越えてキロ3分10秒〜3分12秒ペースで落ち着いてきたところで、前の集団が大きくなってきたような気がした。いや、間違いない。差が縮まりつつある!
追いつくのが先か、このペースに耐えられなくなるのが先か。もし追いつく前に力尽きてペースダウンすれば、今のこのキツさは水泡に帰すことになる。さらに言えば終盤の上り坂よりも手前で追いついて、一度体力を回復させる猶予も欲しい。ここで押し切るか退くかで明暗が分かれるだろう。
「谷!前と20秒差!」
22km地点で再び監督の声がする。20秒差!やはり縮まっている!
約3kmで20秒詰めたということは、向こうも3分17秒くらいでは行ってるのか。だが、もう3kmで追いつけるはず。
しかしここにきて差がなかなか縮まらなくなってきた。こちらのペースが緩んできたのだ。追い上げ中の2人からも離れそうになる。いや、退くものか!追いつくまで行けばきっと回復する。
そして27km、命からがら辿り着いた。これで9位グループだ!
そして案の定、他の2人もペースを緩め呼吸を整えている。9〜14位までの6人集団の1番後ろに構える。
さらに32kmで前から1人下がってきた。日本人トップ争いをしていた1人だ。だが明らかにペースダウンしている。
その選手を追い抜きついに、8位集団となった!全て計画通りだ。
さらに後ろから追い上げてきた選手が1人加わり、集団は7人に。
呼吸も落ち着いてきて、次のペースアップに備える。仕掛けがあるとしたら、きっと35km地点か37kmの上り。もし僕なら35kmで行く。
だがこの時点で足は売り切れていた。初めのペースアップでエネルギーを使い、その後のペースダウンにハマった足は、おそらく二度目のペースアップには対応できない。
そしてその時は訪れた。35km。先ほど追い上げてきた選手がさらにペースを上げる。即座に2人ほど反応したが、僕はもう反応できない。予期していたのに!身体が動かない…!攣りそうになる足を必死に回し続けた。
ポートアイランドに向かう高架道路を上っていく。このときはすでに7人中5人に先行され、13位14位を争っていた。抜きつ抜かれつしながら、どうにかペースを維持しつつゴールを目指す。残りの距離では多分、前は追えない。だが後ろから抜かされることも多分ない。ここでスタート前の狙いを思い出す。日本人8位。たしか5位までは海外招待選手…。つまり…、13位までが日本人入賞のライン。これは絶対に負けられない!
いよいよポートアイランドが目前に迫り、高架道路を一気に駆け下りる。もう足がどうとか関係ない!突き放せ!
下り坂の勢いそのままにゴールまで駆け抜けた。
結果、2時間21分45秒。総合13位。日本人8位。
読みは外さなかった。力は出した。コンディションは申し分ない。だが及ばなかった。見えていたのに。手が届く範囲に。
監督に迎えられ、完走タオルの柔らかさに、少しの安堵と大きな悔しさと確かな手応えを感じながら会場を後にした。
あとがき
詳しい練習内容について解説した記事を書いた。
こちらも併せて読んでいただけるとより一層、本記事を楽しめる内容になっていると思う。