見出し画像

5・困らせ屋の父と私の記憶

☆まり婆の記憶も危うくなって、子供時代の事が本当にあった事か?夢だったか!?定かじゃないんだ。だから物語として読んでくれたら嬉しいよ☆

父は晩年、アルコール依存症と認知症を患い、5度の死亡危機を乗り越えながら、とびっきりの困らせ屋となりました。その度に、「私は何故父を見捨てなかったのだろう?」と自問自答していました。
結婚式の費用や、土地購入の頭金を両家に応援してもらった恩返しの気持ちもありましたが、それだけではありません。思い返すと、その答えは私の子供の頃の記憶にありました。

父は東京・日野市の牛乳工場に勤め事務員として働いていました。持ち前の明るさで工場の人たちとすぐに打ち解け、楽しそうに働いていました。
そんな父が、ある夏の日に私を一人だけ連れ出して、有楽町へ芝居を見に行ったことがありました。

電車ではなく、なんと牛乳工場の配送トラックの助手席に乗せてもらったのです。当時エアコンなどはなく、運転手さんと父は窓を全開にして煙草をふかしながら笑い合っていました。私の足元には黄色いケースに満タンの氷が詰められていました。

「マコちゃん、足を突っ込んでごらん?」

父がイタズラっぽく言うので、私は靴下を脱いで氷の中に足を滑り込ませました。

「うわぁ〜冷たい!」


運転手さんに三角牛乳をご馳走になりながら、トラックに揺られて都会へ向かう私はワクワクしていました。そして到着後、父と一緒に劇場で『白雪姫』を観ました。その帰りに買って貰った絵本には木馬座のサインをもらい、大事に胸に抱えていました。

けれど、その楽しい時間は一瞬で不安へと変わります。

都会の雑踏の中、私は父のズボンをしっかり握って歩いていました。けれど一瞬手を離した隙に、父の姿が消えてしまったのです。焦って、再びズボンをつかんだら、それは別の男性のもの。心臓が飛び出しそうなほど怖くなり、必死に父を探しました。

その後、どうやって家に戻ったのかは覚えていません。ただ、私は無事に帰宅しサイン入りの絵本を失くさずに抱えていたそうです。毎晩、その本を読み、抱きしめながら眠りました。

父は私を困らせることも多かったけれど、同時にワクワクする経験も与えてくれました。たとえ晩年に迷惑を掛けられ、失望することがあっても、、、。

あの日のトラック助手席での興奮、氷の冷たさ、劇場の夢のような時間は、一生消したくない、私の大切な記憶。きっと、あの日から私は、『ズボンの裾ではなく、父親の手を握って離さないでおこう!』と心にきめたんだと思います。




お墓の中で寝て無く飛び回っていそう!

2025年1月30日 命日から10年経ちました。お父さん、お疲れ様でした〜有難う。やっと自分の心に向き合えました。


♡今日も読んでくれて有難うね。あなたのお父さん、生きていますか?今のうちに沢山お話しをしてみてね。きっと喜んでくれるはず♡



いいなと思ったら応援しよう!

ありん
宜しければ応援お願いします。頂いたチップは海外の子供達との交流支援に有効に使わせて頂きます。