実母と実母の交際相手から虐待を受けて育ったポロロンです。 岡田斗司夫さんのYouTubeにて、ポロロン名義でご相談させていただいた事があります。 ご興味のある方は是非探してみて下さい(*´︶`*) さて、簡単に自己紹介いたします。 ◼️30代 ◼️2児のワーママ ◼️結婚11年(交際期間含めると17年) 私の生い立ちを知らない方は必ず「幸せを絵に描いたような家庭だね」と仰ります。 ここに至るまでの私の壮絶な人生をどこかに書き記しておきたいと思い、noteをはじめま
彼とメールのやりとりを初めてから5日目。 なんと。 彼に電話で告白された。 一度も会った事は無かったが良い人そうだし、なにより彼氏というのを1回つくってみたかったという、なんとも軽い気持ちでOKした。 こうして私に初めての彼氏ができた。 そして、1ヶ月後に会う約束をした。 だが、問題があった。 お互い家が、車で40分程掛かる場所だった。 その中間地点である商業施設で会おうということになったのだが、その日は雨予報だった。 もちろん、男と母には彼氏ができたとは言
ようやく、夫婦喧嘩が終わりました! 長かった。笑 話は飛びますが、セルフネイルをしました。 大体3〜4週間のサイクルで替えてます。 セルフネイル歴はかれこれ10年以上になりますが、4時間位は掛かるので面倒になってきています。 ですが、手元が綺麗になると気分も上がるので頑張っています。 私の物語もいよいよ佳境ですが、ここからも中々しんどいので、執筆が思う様に進みません。 少しペースは落ちますが、お付き合い頂けると幸いです。
紹介されたとはいえ、知らない人とメールをしている事が悪い事なんじゃないかと、当時の私はビクビクしながらメールを返した。 (これ、警察に捕まったりとかしないよね?) 不安になった私は友達にも相談した。 そう、私はあまりにも外の世界を知らなさ過ぎた。 知る機会を全て男と母に奪われていたのだと、後になって気付く。 他愛も無いメールのやり取りが始まった。 同じ県内の工業高校に通う、2つ上の先輩だと分かった。 写メの交換もした。 私は高校入学時、友達と撮ったプリクラ(当
中学を卒業してすぐ、バイトを始めた。 少しでもお金を貯めて、早く家を出たかったからだ。 携帯や定期代も自分のバイト代から出した。 そして母に言われる。 「家に金を入れろ。」 少ないバイト代の中から毎月1万を母に渡した。 ろくに貯金は出来なかった。 だが、小さい頃から散々、働くことは大変で辛くてしんどい事なんだ、と男と母に言われていた。 まだ働けない私達に向かって、働いていない、お金を稼いでないお前らはクズだ、とも。 でも違った。 バイト先の皆さんはすごく優
殺されなかった。 死なない程度に追い詰められるのが一番辛いのに…。 また日常が戻ってきた。 虐待される日々が。 もう、誰も何も信じられない。 母と男の元を離れるまで、一生これが続くんだ。 そうだ、高校卒業と同時に家を出よう。 そのためには商業高校に行って就職しなきゃ。 できれば推薦がいいな。 頭はそこまで良くないから…。 生徒会長とかやったら推薦もらいやすくなるんだっけ。 よし、やろう。 こうして私は、なるべく家に居なくて済むよう、部活動や色んな委員会
ゲーセンに連れて行かれ、両替係として3〜5時間同行させられる。 私に道具を使う資格はないとかで、素手でトイレ掃除をやらされる。 私にベッドは不要だと言って、廊下で寝ろと言い、寝ている私をわざと踏んづける。 炊事、掃除、洗濯等は全て私達。 男と母は寝っ転がってテレビ、ゲーム。 マッサージを2〜3時間させられる。 胸をずっと触られる。 気まぐれに罰ゲームが始まる…。 こんな日常の中、中学生になった。 すると、父から連絡があり、久しぶりに会うことなった。 父は中
名古屋城に行ってきました。 子供達は初! 服部半蔵忍者隊のパフォーマンスもあり、子供達も見入っていました。 ただ、季節外れの寒さですっごく寒かったです。 ここ最近、旦那と揉めていまして。 自分の気持ちを相手に伝えるって難しいですね。 ただ、間違った事をしてるのは旦那なので、旦那は何度も歩み寄ろうとしているけど、私がヘソ曲げて無視し続けてるという 自分でも面倒臭い奴だなとは思うんですが。笑 中々切り替えられるものでもなく。 なぁなぁにされるのも嫌だし。 んー
虐待に加え、性的虐待も毎日繰り返されていた小学5年生の頃、私は生きる気力を無くしていった。 交番に助けを求めに行ったらどうなるかな。 でも、児童相談所の人達みたいに何もしてくれなかったら…。 余計酷いことになる。 神様に何度助けを求めても、何も起きない。 何も変わらない。 もう、どうにもできない。 生きているのが辛い。 死にたい。 そうだ、死のう。 でも私が死んだら? 妹はどうなるだろう。 私が受けていた分が妹にいくのだろうか。 それはダメだ。 そ
小学4年生の時、私の体に変化が訪れる。 ちょっとでも胸を触られるともの凄い痛みに襲われた。 そう、成長期だ。 男はそれを面白がった。 痛がる私を尻目に胸を触りまくる。 あまりの痛さに泣き叫びながら 「痛い!痛い!触らないで!」 と訴えるが聞いちゃいない。 その時、母が怒鳴った。 「うるせぇ!近所迷惑だろうが!」 私は絶望した。 母は助けるどころか、私をもの凄い形相で怒鳴りつけたのだ。 今までどれだけ殴られても、蹴られても、泣くだけで痛いと言わなかった私
小学4年生に上がる頃、不思議な夢を見た。 夢の中の私は高校生。 何故か祖母の家に居て、祖母の家に住んでいるという設定だった。 この祖母は母方の祖母で、私は初孫ということもあり凄く可愛がってもらっていた。 だが祖母は、男との交際を認めておらず、それが母は嫌で、祖母の家に行く事があまり無かった。 そんな祖母の家に住んでいる…。 (あっ、これ夢だ) すぐに分かった。 祖母の家に、掃除機の訪問販売の営業の人がやってきた。 その掃除機の実演の様子を、高校生の私は祖母と
目のあざも完全に消えた頃、家のインターホンが鳴った。 母は家に居るとき、寝っ転がりながらゲームをしているため基本動かない。 そのため、全て私たちが対応していた。 家のインターホンが鳴る=来客だ。 人が来ると酷い目に合わされないので、インターホンが鳴るとすごく嬉しかった。 元気良く玄関を開けると、スーツ姿の男性2人が立っていた。 「お母さん居るかな?」 普段なら呼びに行かないと居ない母が、後ろに立っていた。 「あぁ、お母さん! 今日はお時間ありがとうございます!
小学3年生の時、問題集をやらされていた。 分からない問題があっても教えてもらえる訳じゃなかったので、どんなに考えても分からないものは分からなかった。 すると、男はこんな事を言い出した。 「これ、1冊全て解くまで寝るな。」 学校から帰ってきて、ずーっと問題集を解いていたが分からないまま、気が付けば一瞬寝てしまっていた。 (ヤバい!) そう思ってバッと顔をあげ、また問題に取り掛かる。 それを何度も繰り返し、朝を迎えた。 朝、男が起きてくると 「お前寝てただろ。デ
そんな日々が続く中、月に一度は父の家に泊まりに行っていた。 その時間が本当に幸せだった。 だが、それが男は面白くなかったようだ。 父の所に行く前後には必ず、酷い罰ゲームを課してきた。 父が帰った後、お風呂場で何度泣いたことだろう。 「帰らないで」 「助けて」 「辛いよ」 誰の耳に届く事もない、悲痛な私の胸の内だった。 父にも、新しいママにも、自分達の置かれている状況は話せなかった。 余計な心配をかけたくなかった。 手の掛かる子供だと思われたくなかった。 私
そこから、悪さをする度に母ではなく男から殴られるようになった。 しかし、日を追うごとに様子が変わっていく。 男の機嫌次第によって、何か怒る材料がないかわざわざ探し、理不尽に怒鳴り、殴るようになった。 男が言う。 「罰ゲーーーーム」 その言葉は今でも私の心をざわつかせる。 殴る、蹴るだけに留まらず、髪の毛を掴み壁目掛けて繰り返しぶん投げられる。 ある日は、スクワット千回やれと言われ、枕を両手に持たされ、倒れると殴られ、泣きながら限界までやらされる。 夜中に急に起
一緒に住み始めた当初、私はひどく反抗的な態度をとった。 母に裏切られたという気持ちが強かったからだ。 何かの拍子に母に 「母親失格だ!」 と言った。 母は泣いていたが、男が隣で慰めながら 「じゃあお前は子供失格だ!」 と言っていた。 意味が分からなかった。 全てこの男のせいなのに、と。 半年も経たず、男が本性を現す。 学校で、親の前で九九を暗記して言う、という宿題を出された。 何度かつまづいたため、やり直しをさせられるがそこで悪知恵が働く。 答えを書いた紙を