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一つのフィクションとして
挑戦してよかった
そう思えたことの一つに映画の撮影がある。
大学生最後の一年。
皆で取り組んだ映画の撮影には思いもよらぬ自分の気づきがあった。
脚本作りやキャスティング、舞台セット作りや音響、照明、音楽。沢山の用意が撮影には必要だった。映画は総合芸術とも言われるように一人の力だけでは完成しない。多くの人に協力を呼びかけて助力してもらった。建物の建設に設計図は不可欠であるが、骨組みがしっかりしてるかなどの確認は素人目には分からないように、私も撮影時には分からなかったネジの緩みに悩まされたこともあった。映画はフィクションでありながら、我々の世界の現実と紙一枚挟んだすぐそこにもう一つ「ある」現実だ。つまり現実で起こらないことが映像内で起こる癖に現実とかけ離れた事象は違和感として残り続けるのだ。実に面白い物だと思う。
映画として完成した作品を自分で鑑賞した時、私は率直に後悔した。私が今まで流すように鑑賞していた映画の一コマ一コマは監督や俳優の魂のこもった表現であったことにだ。拙くとも制作に励み、漫画のコマを割っていくように一シーン一シーンに時間をかけていた身からすれば実に大きな気づきだった。
挑戦とは、何事も新たな視点を作ってくれる。
今まで見てきたようで見てなかった世界。
誰もが生きているようで知らない世界。
自分がいる世界は実に多様な視点で組み立てられている。法律や道徳、文化、経済、教育。一体何が正解であるのかを誰も証明ができない。
しかし視点を変えれば考え方も変わる。そして理解の歩幅が大きくなり、自分と離れた距離にある新たな問題に自分自身が気付くのだ。
人それぞれとはよく言うものだが、歩み寄ろうと新しい視点を持つために努力することは何も遅くはないはず。カメラのピンぼけから対象にピントを合わせてレンズを絞る。違和感があったらそうして自分の視点を変化させる。映画も人生も美しく飾るのは自分の手次第だと思う。