じいじ 保育士を目指す! 自宅保育?
やっぱり書かざるを得ない。
そう、我が子を自宅で育てる事が何故、保育と同じなのですか?
そう問わざるを得ない。自分の子や自分の孫を自宅で見る事が保育ですか?と。
保育は、保育士という専門職が保育園(所)という環境でおこなうモノ。この環境と園児達と保育者、園児達の中でそれぞれに相互作用し、ある時は園児の育ちを意図的に、それでも強制的でない自発的なモノを見極め、見守りながら育む行為だ。
親子の関係性とは別の世界で日々を過ごし、遊びという創造性と身体能力を育む営み(そこには配慮という専門的行為が介在している)がまさに保育というモノ。
そこには義務教育機関が実行する集団活動としての学びとは別の乳幼児期における特別な育ちがおこなわれる。
もちろん、保育園にいかないで義務教育まで自宅で育てる事も選択としてありうるし、この国の教育システムとして就学前の選択は親の責任となっている。
が、保育園という環境と関係がもたらす子ども達にとって有益な育ちの場を利用して、人間の土台を育む事は、親子にとっても有益な育ちであり、社会にとっても必要なプロセスだと考える。
言葉として、理論的に保育士がその自宅で自分の子を育てる事が自宅保育というかと言えば、やはり違う。保育には、場と個々の関係性という環境と関係の相互作用があって初めて成立するモノだからだ。
だから、はっきり言う。自宅で自分の子どもを育てる事を保育とは言わない。
この事を理解できない人々がいる限り、保育士の専門性と保育士の低賃金労働の問題、保育が抱える色々な問題は解決不能だ。
世間には、はっきり言って保育に興味もない保護者さえいるだろう。時間と場所をお金で買うサービスとしての託児行為がそもそも保育だと思っている人々だ。更に言えば、子ども達の育ちに興味のない大人達は多数いるだろう。
が、この国の子ども達は、この国の大人達という社会の構成員である皆が責任を持っておこなう営みであるという民主主義国家の原則を理解できないとなれば、それは未来を支える子ども達の未来を潰す行為と同じ事だ。
子ども達を支える専門職の一つであり、重要な役割を担う保育士とその専門職がおこなう保育について是非考えて欲しい。
さて、今日はこの辺で。