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無題

幼い頃の記憶はもうあまり残っていない。一番古い映像の記憶は、幼稚園の頃大嫌いなドッジボールに参加させられて半泣きになったときの記憶だ。そもそも未だにドッジボールという競技に理解を示せない。逃げる人にボールを当てるなんてなんて野蛮な競技なんだろうと思ってしまう。

基本古い記憶に対する興味があまりないのか幼いころの記憶がほとんどない私だが、静止画でなら思い出せる場面がいくつかある。

私の両親は共働きで、小さい頃から家に一人でいることが多かった。6歳くらいの頃、母と二人で家にいる時に、母が急遽仕事場に行かなくてはならなくなり、私は留守番をすることになった。すぐ戻るという母に行かないでという私。急いで戻ってくるからねと言ってくれる母。たしかそんな感じだったと思う。

母が玄関で私に手を振って、ドアが閉まる。その閉まった瞬間のドアの風景が、一枚の写真のように私の記憶に残っているのだった。黒い大きいドア。途端に周りが薄暗く見えて、家が自分の知らない場所のように見えた。いきなりしんと静まり返って、その静けさがあまりに怖くて声を出して泣いた。泣いて泣いて、泣き疲れて眠ってしまって、起きた時には母が帰ってきていてとても安心したことを覚えている。母は今でも懐かしそうにその話をする。私も懐かしいと感じる。


でも、その話を思い出す度私は、私の大事な人にはあと何回人生で会えるのだろうと考える。私たちは普段、なんとなくまた会えるだろうと安心して家族や友達と過ごしている。でも本当は、いきなり会えなくなることなんていくらでもあり得る話なのだ。だから朝家族と喧嘩しても、喧嘩した状態では家を出ないようにしている。


その後は、もう会えなくなった人のことを思い出す。昔好きだった人たちのことを。

元気にやっているだろうか。好きな人や恋人はできただろうか。傷つけたことも傷つけられたこともある。それでもなんだかんだ楽しかった。幸せになってねと微笑むような女には死んでもなりたくないから、幸せになってねとは思わない。幸せになるなら勝手にしろ。でも、もしこの先つらいことがあって、もし万が一死にたくなったら、頭が余計なことを考える前にすぐ美味しいご飯をお腹いっぱい食べて、ふかふかした暖かい布団で寝て、たまに散歩もして、そうやって生きることを諦めないでほしい。美味しいご飯を食べに行く気力すら失ってしまうまえに、全て放り投げて自分のことを労ってほしい。なんとなくでいいから生きてくれ。こう思ってることをもう伝えられる手段もないし、伝える気もない。たかが一個人の思いのために別れた人の人生に再登場するのは大変自分勝手でただの自己満足な行為だと知っている。でも、私は今もここで彼らに生きていてほしいと思い続けている。そしてその考えが、願わくば杞憂であればいいとも思っている。

もう彼らを愛していない。彼らに恋人がいても何とも思わない。でもこう思っていることは愛以外ならなんなのだろう。祈りだろうか。


当人がそこにいなくても成立する愛だけが、別れた今でも残っている。

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