真夜中のなみだ
今日もまた、この六畳一間で目を覚ます。
窓から見える大きな川と河川敷も、風が強いとガタガタうるさく音をたてる雨戸も、近所にある古びた銭湯も、全てが新鮮だったが今ではただただ煩わしいだけだ。
一つだけ変わらず毎年のように感動を届けてくれるのは、部屋を出ると目の前の通りに広がる桜の木々だけだろう。
シンガーソングライターになると息巻いて高校卒業と同時に地元を出てから五年が経った。毎日のように一緒に青春を過ごした友人たちは、立派な社会人になっている。そんな中私はどうだ。夢を追うには少し年を取りすぎたのかもしれない。
あの頃のようにペンは紙の上を走らないし、純粋な心もなくなってしまった。どうやったら売れるとか、こうしないと売れないとかそういう型にはまりたくないから音楽を始めたのに、大人たちは皆、目の前の利益にしか興味がない。子供ながらに憧れていた大人なんかこの大都会には一人もいなかった。
もう長らく地元には帰っていない。田舎に住んでいる家族や友達の純粋さは時に残酷なまでに私の心を引き裂いてくる。
最初は反対していた家族も、休み時間の何気ない鼻歌を褒めてくれた友達も何の疑いもなく背中を押してくれる。いっそ夢なんて捨てて、地元で適当に結婚でもして暮らすのが幸せなんだろうな。
寝ぼけながらそんなことを考えていると、昨日の夜最後の一本を吸い終わった煙草の空き箱が目に入った。
上京したての頃に出会い、この街と大人の女性としての在り方を教えてくれ、まだ幼かった私を本当の妹のように可愛がってくれた人が吸っていたあの”煙草”を吸いたかったのに、今じゃただの夢を諦めかけた女の憂さ晴らしのために吸われる煙草に成り下がってしまった。
彼女は自分のお店を持つのが長年の夢だった。夢を語る彼女の瞳はこの世のどんな宝石よりも美しく輝いていた。
「あんたが有名になったらおいで」という言葉とお店の住所が書かれた置き手紙を残して私の前から突然姿を消してしまってから一度も連絡を取っていない。私の夢を馬鹿にせず時には厳しい言葉をかけてくれた彼女が今の姿を見たら怒るんだろうな。夢を叶えられなかったことよりも彼女に会わずにこの街を出るのが一生の後悔になりそうだ。
煙草を買いに家を出て、賑わっている通りとは逆の路地にある煙草屋に向かう。コンビニにだってあるその煙草を何故かそこで買うのがルーティンになっている。
店に着くと、何の銘柄か言わずとも私が見えたらきっちり用意してくれているいつもの淑女とは違う高校生ぐらいの女の子が店番をしていた。
「いらっしゃいませ」
この暗い路地とは打って変わって明るすぎる彼女の声が耳に入ってきた。
「スカイスクレイパーを三箱」
「はい、少しお待ちください」
「あ、その青い箱のやつ。そうそれです」
「すいません、まだ三日しか働いてなくて」
「いや全然いいですよ」
「次来てくれた時には絶対にすぐに用意しますね」
彼女の未来に期待を膨らませている目が私には鋭く突き刺さった。やはり純粋すぎる人は苦手だ。
「それにしても珍しいですね。こんな小さい煙草屋に女の人が一人で来るなんて。あ!もしかして歌手を目指してる方ですか」
「あぁまぁそうです」
「いつもお店にいるの私のおばあちゃんなんですけど、おばあちゃんが言ってたんです。ものすごい歌が上手くて、私が好きだって言った昔の歌を歌ってくれた若い女性のお客さんがいるんだよって」
そういえば一度そんなことをしたかもしれないな。
「喜んでいただけたなら何よりです」
「想像してたより何倍もかっこいいお姉さんだな。私も今小説家になろうと思って新人のコンテストに応募したり、出版社に連絡したりしてるんですけど全然上手くいかなくて。それをおばあちゃんに相談したら、うちの店番したら良いアイデア浮かぶかもよって口車に乗せられちゃって」
彼女は自分の夢を見ず知らずのただのお客さんの私に恥ずかしさも誇らしさもありながら話してくれた。
「今おばあちゃんね、いろんな国の言語を学びたいから大学にいきたいって言いだして受験勉強してるんです。昔はおじいちゃんと二人で海外旅行によく行ってたらしいんですけど、私が小っちゃい時におじいちゃんを亡くしてから、行かなくなったんです。でもね、一週間前にある国から手紙が届いて、その手紙が日付を指定して未来の自分に手紙を送れるもので、過去のおじいちゃんと自分からの二通の手紙を読み終わった途端急に立ち上がって、やっぱり私は日本に留まっているほど安い女じゃないって言いだして」
家族みんなびっくりですよ。笑いながらそういう彼女は続けて言った。
「でもね、その時のおばあちゃんすっごくカッコよかったんです。自分には小説を書く才能がないと思ってた時だったから、素直にやりたいことをやろうとしているおばあちゃんが羨ましくって。それまでは有名な作家になることだけに囚われて、何を書いて何を伝えたいのか分からなかったけど、おばあちゃん見てたらそんなのどうでも良くなって、私が書きたいものを書こうって。なんかお姉さん見てたらいいアイデアが浮かんできたかも!お姉さんを主人公に本を書いてもいいですか?」
私は忘れてはいけないとても大切なものを、この多くの人が気にも留めないような煙草屋の二人に思い出させてもらったようだ。
「いいよ。完成したら私にも読ませてくれる?」
「もちろん!一番にお姉さんに読んでもらいたい!」
「そうかありがとう。じゃあまた」
「お姉さんがどんなに有名になっても煙草はうちで買ってくださいね。いつでもこの未来のベストセラー作家が待ってますから」
この街を離れる時に感じる後悔が一つ増えた気がした。このまま簡単に夢を捨ててしまうのは彼女たちに申し訳ない。何の根拠もなく応援してくれているみんなにも。
早く今の気持ちを書かないと、久しぶりに触るギターは調子を悪くしていないといいな。出来上がったらすぐに煙草屋に行こう。
来年もここであの感動を味わおうと決意し桜並木の家路を急いだ。
夢を追うのに老いも若きもない。さあ、今すぐ走りだそう。
瞬間チャージ、スタミナゼリー。
深夜二時にYoutubeの長めの広告、しっかり全部見て泣いてもうた。
これは流石に疲れすぎている。はよ寝よ。
明日買いに行ってみようかな、スタミナゼリー。
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