【感想】家出のすすめ
寺山修司さんの「家出のすすめ」を読んだ。
寺山さんの本は「書を捨てよ、街へ出よう」を読んだことがある。
家出。
ぼくは家出を経験したことがない。それは恐らく、いいことだと思う。実際、家出を行えば大勢の人に心配と迷惑をかけてしまう。現実的に考えてしまえば賢明な判断ではないだろう。しかし、全ての「家」がぼくと同じではないのだ。人にはひとの「家」がある。
家を出るということ。
例えば、県外の大学に進学することがきっかけで一人暮らしをする。アパートでの生活。今までどれだけ親が自分の知らないところで努力(本人たちは当たり前のこととしか思っていない)をしてきたのか痛感する。尊敬すべき親に対して自分はなんて酷いことを言ったのだろうと猛省するかもしれない。自炊の大変さ。そもそも、材料を買いに行かなければ自炊もできない。皿を洗うことも、トイレや風呂の掃除だって、今まで親がしてくれていた……一人暮らしを初めて親のありがたみを知る、というはよく聞く話だ。
しかし、人によっては普段から家事をしているだろう。掃除なんて当たり前にしている。買い出しにも行っている人も当然いるだろう。親が共働きで家にいない時間が多い。少しでも親の負担を減らしたい。だから、自分でできそうなことは自分でやってみようとなる。
そういうことを他人に話すと、「偉いね」とか「しっかりしているね」、「大変だね」なんて言われる。言われた方は別に普通のことじゃないかと思う。逆に「偉いね」と言うならあなたは家事をしていないのか、とも思ってしまう。実際はどうであれ、だ。
家出において一番大切なのは自立することなのかなと思う。精神的な自立と経済的な自立。いくら親が憎くて家出したとして、その親から仕送りをもらってぬくぬくと生活を送っているのならば違和感がある。家を出て、親の保護下から抜け出したのならば、自分の面倒は自分で見なければならない。親離れしなければいけない。巣から飛び立つ鳥のように。
時代は移り変わろうとも、家出をしたいと思いを抱えている人はいると思う。今も昔も、理由はそう大差ないのかもしれない。それだけ何かに対して怒りを持っているということだろう。家族に対してか、他人に対してか、土地に対してか、あるいは自分自身にか。
家を出たことによって、家のありがたみを知ることができるのだろうし、家を出たことがなければ知ることのできないものだってある。
自立するためには自分の意思で物事を選択していく必要がある。人に頼るのはいいが、アドバイス程度に留めてもらおう。
寺山修司さんの本をもっと読んでみたいとなと思いました。
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