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ある看取り(前編)

その家族は都会の中で今でも広大な土地を所有し代々農家を営んでいた。早朝から、車が行きかう大通りとスーパーマーケットに挟まれて、数個のビニールハウスで野菜の栽培をしている婿養子の姿が見られた。

地域のかかりつけ医であった笹倉医師から紹介を受けて音無茜は担当ケアマネジャーとなった。外観は古民家風だが最新設備の整った裕福感のあふれた大きな屋敷の中に三世代が同居している。

茜の対象者は80歳を超えた久留米長一郎。要介護度3だったが激昂型で暴言暴力が突然意味なく起きるなど精神性の疾患が疑われた。

聞けば問題行動の状態が10年近く続いているという。
家には長一郎とその妻、長女よし子と娘婿の義孝、成人した孫二人が暮らしていた。

キーパーソンは娘婿の久留米義孝が家のことすべてを取り仕切っている。
義孝は物腰が柔らかく、いつも笑みを絶やさない穏やかな男だったが、時折みせる険しい目線が気になり、茜は訪問時にはいつも居心地の悪さを感じていた。
家族全員もまた終始笑顔で、訪問のたびに歓迎してくれるのだが、屋敷全体から漂うなぜか緊張感をともなう空気が気になってしまうのだ。

主治医は精神科ではなかったが、精神薬や睡眠剤など盛りだくさんの薬が処方されていた。
茜はまず専門医に主治医を変更したかったが、家族ぐるみの長いつき合いらしく進捗のないまま一年程が過ぎた。

在宅にはこういうケースは多く、地域医療のみで充分な検査もせず、病名も明確でないまま照会を受け、支援の途中で亡くなる方は珍しくない。

なにかきっかけがあれば大病院で検査できると考えていた矢先、家族から急変し総合病院に入院したという連絡が入った。

感染症の恐れがあるため面会謝絶との事だったが、3カ月ほどの入院治療を終えて自宅に戻ることができた。
いそいで駆けつけると、そこには焦点の定まった眼光でしっかりした表情の長一郎が、震えもぐらつきも消滅した安定した体幹で、椅子に腰を掛けて笑顔をみせていた。

「ずいぶんお元気になりましたねぇ」と茜が感嘆の声を出すと、長一郎は「はっは、お世話になります」と改めて長一郎を取り巻く家族を紹介し始めた。やはり話はちぐはぐで記憶がつながっていなかったが、本人の話す内容に合わせて相槌を打つ。

別室で義孝夫婦に詳細を聞くと、脳血管性の病症が疑われたため、検査や治療のために服用していた薬すべてをうち切ったところ、数週間で今のようなクリアな状態になったとのこと。

結局命にかかわるような病気は見つからず、体力が回復するのを待って退院したという。薬はというと、血液凝固を防ぐものとてんかん予防薬、眠剤程度で強い精神薬は何も処方されていなかった。


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まる風太
チップ応援をいただいたことは一度もありません。予想もつきませんが、うれしいのでしょうか。責任が重くなりそうですが、きっとうれしいのでしょうね。