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在宅医の孤独(前編下)
福山医師はいつも一人で往診車を運転し診療に訪問した。
一度その理由を聞いたとき「私は人間関係がにがてなんですよ。看護師を乗せていると気を遣ってしまうので」といった。
人間関係というより強い看護師が苦手なのだろうと茜は思った。
福山医師の患者の中に、重度の認知症の妻を介護して暮らす、心疾患を抱えた虚弱な夫が居た。ふたりの様子は、互いを愛しく思った時代があったのかと疑問がわくほど、いつも険悪な空気を漂わせていた。
飼い犬は痩せて毛が抜け落ち、満足に食事を与えられていない様子だったし、夫が体調悪く四つん這いで這って歩く尻を、妻が後ろから足蹴に追い立てる姿も見られた。
長く訪問しないと何か事件が起こりそうな予感がする場所だった。茜が訪問するたびに老々介護の在宅での限界を感じ、遠方の家族に連絡を取り始めた矢先だった。
その日も予想にたがわず、横になった夫に向かって何かののしっている妻の声が外まで聞こえてきた。そろそろ福山医師の訪問診療の時間でもある。
「どうしたんですかぁ」とのんびり玄関を入って息をのんだ。
夫はいつものように疲れて横になっていたんじゃない。夫は布団の上に斜めにかがみこんだように倒れていた。口元を確認するとかすかな息がある。
その時、福山医師が訪問してきた。「先生!早く」夫の傍へ駆け寄り素早く診察をすると救急車を呼んだ。今日は看護師も一緒だったが、慣れていないのか鴨居から入ってこようとはしない。
「音無さん、夫は入院させますが、妻の方はお願いできますか」茜はとりあえずの入院準備を整えながら「大丈夫です。遠方の家族さんにも、すぐ入院先に行ってもらえるよう連絡しておきます」
福山医師は駆けつけた救急隊員にテキパキと状況を伝え、看護師には往診車で戻るように指示し、自分は救急車に同乗して行ってしまった。
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