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聴診器(前編上)
相談者は介護保険利用の本人なのか、家族なのか音無茜は一瞬迷ってしまった。それほど来訪した女性は疲れきり生気のない表情で年齢を感じさせていた。
突然の訪問で事務所には茜しかおらず、予定を後回しにして面談対応となった。女性は立花千絵と名乗り、茜の事務所から目と鼻にある戸建てに母親が一人ですんでいるという。
認知症がすすみ一層頑固になるばかりで、食事もきちんと摂れておらず自分たちを拒否するためほとほと困っているという。しかも足が丈夫でどこまででも歩いていくため余計に心配なのだと言った。
丁寧に聞き進むと暴言暴力もあることが分かってきた。
聞き取りをしながら、茜の頭の中では具体的に介護のシュミレーションが同時進行する。
すでに開業医のもとへ受診ができる状態ではなくなっているという。
「病気じゃないのだから病院に行く必要はない。薬も飲まない」と拒否が強いので何とかしてほしいと、娘は涙ぐんでいる。
同居も拒否が強くてできない。決して近くはない距離から娘は母のもとに食事を作って通っていた。
しかし本人は冷蔵庫から出したら入れることを忘れ、食べずに腐らせてしまうことも多く、腐敗したものを口にする心配もあって毎日来ているのだという。
まだ通院出来ていた頃、医師のアドバイスで介護認定を受け、要介護の区分を所持していた。説明の内容が行ったり来たりまとまりのない話から、娘の疲労困憊した状況が痛い程伝わってきた。
「分かりました。毎日大変だったですね、立花さんはこれから少し休みましょう」えっ、という表情で娘は顔を上げた。
「私たちがバトンタッチします。立花さんはしばらく休憩をして下さい」
「どういうことでしょうか?」
「日常のことを立花さんが全部やってこられたので、お母さんはたぶん何も困っていないと思われます。
千絵さんはウソも方便でしばらく旅行でも療養でも理由をつけて、お母さんの日常を放棄してください」と茜は微笑む。
「あ、明日から私は母の家に来なくてもいいのでしょうか?」
「はい。早急にヘルパーさんを探します。お母さんに少し困ってもらいましょう。その間は近いので私がお伺いして食事だけは確保します。掃除はしばらくしなくても命に影響ありませんから」
と言うと、大丈夫でしょうかと言いながらも立花千絵の顔に、ホッとした表情が浮かぶのを茜はみのがさなかった。
「それなら、母にあなたのことを紹介します。これからお世話になるのだから・・・」立花千絵の言葉に茜は丁寧に答える。
「いいえ、それは必要ありません。お母さんはおそらく今まで出来ていたことができなくなって不安で腹立たしい気持ちでいっぱいだと思います。今まで母だった立場から、娘さんになんでもしてもらわないといけなくなったことがいちばん辛いのだと思います。そこにこれから介護の人に世話になるなんて紹介されたら、もう私たちを二度と受け入れてはくれないでしょう」
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