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聴診器(前編下)
「あぁ、それはよかったです。この町内も独居の方が増えて、夜のゴミ出しや、買い物に困っている方が多く居られるんですよ。それで私たちがお手伝いをしています。今日は何かご用はありませんか?」
「それは大変なお仕事ね。うちは大丈夫ですから」と押し売りを断る図になってきたので茜は引き下がる。
「じゃあ、またのぞきますね」
「あら、もう来なくていいわよ」とドアが閉まった。
しばらくこの押し問答だな、短い時間とはいえかなりの集中力を要し、茜は玄関を出てホウーッとため息をついた。家の中に入れてくれるまで何日を要するだろう、また部屋に上げてもらえるまでどのくらいかかるだろうかと考える。
納得はムリだなと茜は直感する。何かのタイミングをつかんで強引に進むしかない。とりあえずは茜の印象をインプットすることだ。
娘が用意した食事の作り置きで2~3日はもつ。その間の勝負だと茜は作戦を練る。記憶を定着させるために茜は、翌日も同じ時間に佐々木勝枝を訪問した。
「こんにちわぁ」しばらくするとまた少しだけドアが開いた。
「誰?」名前を名乗るが勝枝はもう覚えていないようだ。
「近所のお世話係です。昨日お話しさせてもらった・・・」ああ、と思い出したそぶりを見せたがたぶん思い出せてはいないようだ、すでに苛立った表情になる。
庭の花に話を振ると少しだけ笑顔が出た。茜が根気よく話をつないでいくと昔の話を始めた。その後数えきれないくらいに聞かされることになるのだったが。
怒らせないように、あとは根気しかない。四日目の訪問のこと、さすがに勝枝は茜を覚えた。名前や何をする人かは定かではないが、ただ毎日来る近所の人で悪意はない、ということが理解できているようだった。
あらー、また来たの?と言いながらドアの中に入れてくれるようになった。しばらく玄関で立ち話ができる関係性まで作り上げていたある日、
「なんだか、変な手紙が来てよくわからないのよ」と不安げな顔で訴えた。
よし、チャンス到来と茜は一瞬で集中する。
「一緒に見てみましょうか」と言うと、
「いま、持ってくるわ」と、勝枝は部屋の中へ手紙を取りに行くのだが、なかなか見つからない。
「あら、どこに行ったのかしら、さっきまでここにあったんだけどね」
「え、どこですか?私も探しましょう、入りますよ」と、さっさと部屋の中に上がり込んだ。
ここで「上がっていいですか?」とは絶対聞いてはいけない。そうすると必ず「ダメ」とパニック状態から我に返ってしまうからだ。
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