ある看取り(中編)
病院からのすすめもあり、義孝夫婦はこれを機に精神科の在宅診療の医師を紹介されたという。聞けば何度も連携している福山医師だったので茜もホッと胸をなでおろした。
えてして、家族は病気について専門知識が少なく、自分たちが困った状況を医師に訴えがちなものである。大病院の医師たちは専門職を通して情報を収集しているせいか、本人や家族との診察時間に日常生活の話を聞く時間は割かない。
しかし、大先生の時代から医者はここだけなどというつき合いをしていると、医者も人の子でついつい情もからむし、何とかしてやりたい気持ちになる。「暴言や暴力で夜も寝られない」「目を離すと夜中の徘徊が止まらない」などと訴えれば、それらの問題行動を薬で抑えようと考える。
そこでもっともっとと、強い薬の盛沢山処方となり、なにがどの薬の副作用かもわからなくなる。そうしてドラッグロックを起こす医師を茜は今までにたくさん見てきた。例外なくそれらの医師たちは優しい人柄だった。
こういうときこそ医師ではなく支援者に相談してほしいと茜はいつも思っていた。支援なら、介護保険や障がい福祉で人の手や援助を入れることができる。
病気を快癒することは出来ずとも、本人や家族の心身負担を軽減することができるのにと悔しい思いを感じていた。
久留米家も世間体を意識したせいか重度になるまで介護を入れず、医師のみに頼っていたものと思われた。
取り急ぎ医師の指示書をもらい医療から退院後の訪問看護のサービスを取り付けると、本腰で介護保険サービスを整えにかかった。
ようやく連携も整い、改めて担当者会議を予定していた矢先、在宅診療の福山医師から連絡が入った。夕食後に突然意識が薄れ、訪問看護に緊急訪問の指示を出したという。
いそいで駆けつけると、先日設置した介護ベッドに仰臥位になり、目を閉じている。
妻と長女の「おとうさーん」とくり返す声の方に、閉じたままの目玉がギョロと動くが目も口も開くことはない。
ベッドサイドには導尿チューブにウロバックが設置され、訪問看護師がかいがいしく本人と家族に声をかけながら、輸液の調整をしている。
もしもの時に在宅では気管挿管も出来なければ、胃瘻の処置も出来ない、突然の状態変化でdeath educationがなされておらず、本人の意思を確認できていないことに気が付いた。
このまま在宅でということは積極的治療が受けられずに、死に至る可能性を家族は了解しているのだろうか。
茜は不安に襲われた。遅れて医師が到着したがいつも通り患者に手を添えて確認するとあとを看護師に任せて帰っていった。
ということはまだ時間はあるようだ。
家族の目をぬすんで看護師にそっと「終末ケアがまだ出来ていないのですが」と言うと「そうですよね、急でしたから。それはわたしから家族に話しましょう」との返事。
その後キーパーソンの夫婦に説明の上意思確認をしてもらうと、娘夫婦は「天寿を全うさせたい。延命処置は要らない、そのために在宅の先生に頼んだのだから、辛くないように送ってやりたい」と言い、娘は泣き出してしまった。
しばらく家族を休ませている間、茜は看護師とその場を離れられずにいた。久留米長一郎は今にもそのまま永久に眠ってしまいそうな空気をまとっていたからだ。いびきの声ももう途切れていた。