まぐろのさしみ(前編上)
「マグロの刺身を買って来てもらえますか」留郷芳人はベッドに腰を下ろしたまま、笑顔で言った。
まだ、介護保険制度が始まる前、訪問介護員が協力員や有償ボランティアと呼ばれていた頃である。
吉野みちるは住所地の市の募集に応募して非常勤採用され、ホームヘルパーの三期生となった。結婚後で未就学の子供がいるが、一般のパートに比べればコスパの良い仕事に思えたからだ。
行政が養成に力を入れていた時代で実習費はすべて公費で賄われ、みちる達同期生(50人ほど)は数十年ぶりに学生に戻ったような気持ちで一カ月強を過ごしたのだった。
この不純な動機は、現場に入ると一週間もしないうちに吹き飛ばされてしまったのだが。ただ無我夢中で気が付けば一年が過ぎようとしていた。
すでに同期の仲間から半数ほどの人が消えていた。
初めての経験ばかり、いわば怖いもの見たさの浮ついた気持ちがなかったといえばウソになる。また、一日2~3件の訪問で気力体力を使い果たして自転車を飛ばして帰り、今度は自分のうちの家事が待っているみちるには、なにも考える余裕は残っていなかったともいえる。
溜郷芳人はみちるが担当した最初の利用者だった。難病を抱え、すきま風だらけの広い一軒家に一人で暮らしていた。四季を通じて看てくると、その人の私的な生活の部分までほぼわかってくる。
6月のうだるような日、他のお年寄りの例にもれず、エアコンはあったが点けないのだ。いつも大きなうちわであおぎながら、週に3回みちるの訪問を首を長くして待っていてくれた。
利用者宅に入ったら、自(動・転)車を使ってはならないという今では全く不合理な規則に従い、みちるは自前で買い物用の押し車を利用する。
当時のヘルパーは地位が確立されておらず、お手伝いさんと同義語かと思われる扱いを受けていたなかで、溜郷芳人の扱いは尊敬に値するものだった。
言葉も崩さず、みちるの人格をきちんと認め尊重してくれた。が、溜郷芳人には妙な癖があったのだ。この癖のせいでなかなか先輩たちが継続できず、みちるに担当が回ってきた経緯があった。
この日も訪問時はすでに夏の日が高く、家じゅう開け放っているせいで、部屋の中までセミの声が響く中、ベッドに座位の溜郷芳人は全裸だった。