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在宅医の孤独(後編下)

それからの妻は、眠っている時間が増え呼吸が苦しそうになっていく。酸素量が低下し個室に在宅酸素が持ち込まれ、定期に看護師が訪問するようになった。
いつ訪問しても妻の傍に夫の姿があった。もう口から何も入らない状態だったが、ときおり目を開けては夫が居ることに安心した表情を浮かべるのだった。

また自分では動かせなくなった妻の手を夫が握ると、妻は必ず「お父さん、おとうさん、一緒・・・」と切れぎれの声を発した。

SpO2(体内酸素量)は80%を切り、福山医師の指示で2リットルの酸素がカニューレで供給された。

日に日に肺機能は低下し、見ていても辛いほど呼吸が苦しくなっていく。酸素量は3リットルとなり、カニューレからマスクに変わった。
もう自力呼吸で換気をする力が残っていないようだ。

家族は延命を望まないことは話し合って了解済みだった。往々にして延命は望まないが苦しませたくない、とほとんどの家族が言う。

しかし決して家族は、具体的な希望を伝えない。無言で訴えるような眼を医師に向けてくるのだ。

自然死とは決して苦しまず眠るように死ねることではない。

ここで医師は苦悶する。在宅経験の長い医師ほど確固とした自分の姿勢を持っているような気がする。

人工呼吸器でも使わない限り、これ以上に酸素吸入量を上げると自力呼吸では肺の換気ができなくなる。もう二酸化炭素を吐き出せなくなるのだ。

そして二酸化炭素が最初に溜まっていくのは脳である。
やがて次第に意識が薄れ呼吸が止まっていく。

苦しい息の下に遠方の家族が集まり、口々に元気なころの思い出話に花が咲いた夜、福山医師は黙って酸素量の目盛りを最大に近い量に上げた。
「この方が楽になるからね」といつものようにやさしい表情でそう言って帰っていった。

福山医師のつぶやきが頭の中でよみがえった「私は本当は医者なんてしたくなかったのですよ」


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