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【躁鬱日記#8】本当は病気のままの自分でいたいんじゃないの?

みなさんこんにちは、いぬっちです。

今日は、いぬっちの思考が変わるきっかけとなった言葉についてです。

大学院の受験をする際、大学入試とは異なり直接研究室の先生に会いに行き、出願したい旨を伝えて承諾を得る必要があります。
いぬっちも、行きたい研究室の先生とお話をしながら、
「どんな研究をしたいのか」
「体調に不安があるが本当に通学できるのか」
など何度も話しました。

当時は進学したい大学から電車で2時間ほどのところに住んでいたため、一度行くだけで精神的にも体力的にも疲れ切ってしまい、先生に呼ばれた日に行けないということが何度かありました。

いざ出願、というタイミングで

本当に今の状態で週に3〜5日も通えるのか。
このままでは合格させて良いのかわからない。

こう言われてしまいました。

覚悟はしていましたが、いざ指摘されると言い返せませんでした。
確かに、今は通うので一苦労だが、入学したら大学近くに引っ越すことも考えていたので
いぬっち的には心配していなかったのですが
客観的にみたら、今学校に通うのが難しい生徒が 入学後本当に研究を続けられるのかどうかなんて
信用できないですよね。

本当に自分の病気と向き合う気はあるのか。
自分が人より活動的になれない自覚があるならなぜ支援センターなどに頼ろうとしないのか。
病気をかかえた自分という鎧で自分を守ろうとしているだけではないのか。

ぐさぐさささる言葉ばかりでした。
いぬっちが目を背けていた部分を針で突かれているような気分でした。

休んでいい
ゆっくり自分のペースで

友人や家族、病院の先生はありがたいことにこんな言葉ばかりで、
なぜ寝込んでばかりなのか、バイトができないのか。といった言葉は言わずにそっとしておいてくれました。

それもとてもありがたかったです。
ですが、一歩前に進みたいいぬっちには
針で突くような言葉が必要だったのかもしれません。

これはあくまでいぬっちの話です。
状況はみんな違う。人それぞれ、必要な環境は違います。

その上で、いぬっちの経験が誰かの後押しになれば良いなと、今日noteに書いています。

誰かの背中をぽんっと押せていたらうれしいです。

では今日も、穏やかに過ごせますように。

#いぬっち

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