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【エッセイ風】犬を飼った話

犬を飼ったのは中学生の頃だった。
犬を飼いたいと言った記憶はあるが、むしろ母親が欲しがっていたのだと思う。父の方は最後まで世話をしろよとか言っていたが、どこか距離をとっていたように思う。そんな家に、犬が来ることになった。

犬を見にいったのは春のこと。ブリーダーのところでみた子犬は、サークルのなかで眠っていた。一匹を手に抱くと柔らかくぐんにゃりとして初めて嗅ぐ匂いがしっとりとした。これが犬か。小さいのに確かに犬の形をしていた。
「どの子がいい?」
見ていた私は思う。ぜったいに元気な子がいいと。ただ一匹起きていて、他の兄弟を踏みつけに伸びをしていた子を指さす。
「この子がいい」
「ええ、この子の方がかわいくない?」
「この子がいいよ」
母親が見ていた子は小柄で胸に白いマークがあった。かわいい顔だ。それに対して私が選んだ子は一番デカくて毛が硬く、おっさんのような顔だった。……父に似ている、と思ったのはずいぶん後の話。
「そっかー」
その時母が何を思ったのかはわからない。でも、うちに来たのは私の選んだ子だった。

名前をつけて、ご飯をあげて、その子はもっと大きくなった。毎朝見るたびにデカくなったなあ……と思う。サークルの隣にソファがあるのだが、あっという間に手をかけ首を出すようになった。
成犬となると35キロはあった。散歩に行っても疲れを知らない。疲れたと眠るのは川や湖に行って泳いだ帰りくらいのものだった。体を洗うときタオルに噛み付いてひっぱりあいっこになると私ではもう勝てなかった。

大事に飼うんだよという父の言葉とは裏腹に、私は他県に行って面倒を見なくなった。そのとき世話をしていたのはだいたい母だった。だけど、犬ははっきり言って母をナメていた。犬には序列があるという。おそらくだが、母は下だったろうと思う。私とその頃生きていた祖母は確実に下で、むしろ世話してやらねばという態度でいた。
それでも、風が吹いてトタンがガタガタいうと4本の足で飛び上がって母の後ろに隠れる。初めて行く道の前では母の手を鼻で突いて本当に大丈夫かと聞くのだ。大きい体の割に小心者なやつだった。

でも、この犬を一番かわいがっていたのは父だったと思う。はじめ、犬は外で飼うんだと言っていたが、そのうち夜に玄関に入れるようになった。玄関から出るなよと言えばひょいと手だけあげる。父が戻す。顎を乗せる。そんな攻防のあと、犬は玄関の主となった。
何せデカい犬だったもので、撫でるというより軽く叩くのを喜んだ。玄関で犬をトントンと叩く父の顔は幸せそうだった。

その犬も死んで10年になる。最後は寝たきりになって馬刺しや豆腐しか食べられなくなった。足腰が弱ってきた頃、散歩に行こうと無理矢理引っ張ってしまったことは今でも後悔している。

犬を飼うというのは残酷なことである。愛玩動物とはいうが、人の愛玩のために命を使う、産業動物だ。それは肉や乳のために生かされる動物とあまり変わらない。一方、動物愛護が謳われるようになりしばらくたつが、虫や細菌の愛護という話は聞かない。
結局、他の命をどうするかなんて人の勝手でしかないのだろう。
それでも、勝手に我が手に取った命を、できるかぎりだいじにしたいという勝手な気持ちがある。


Misskey.ioの「ノート小説部3日執筆」で書いたものです

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