日々の事「優しい眼差し」
ふうちゃんさんのイラストをお借りしました。
先日、孫娘の8歳の誕生日でした。孫息子は来月、1歳になります。
娘から「みてね」サイトでもの凄い量の写真が送られてきます。
孫息子が生れたときからの写真を振りかえると、この1年で孫娘も孫息子も、そして娘夫婦も成長したことがわかります。仲良し家族です。
孫娘が7歳の時に、ママの急な入院で、1ケ月早く帝王切開で孫息子が生れました。ある日突然、ママが入院し、孫娘はババの私がかけつけるまでの4日ほど、生まれて初めて、お友達の家で寝泊まりすることになりました。
家族3人での日々の生活の中、しかも海外でもあり、シドニーの前のシンガポールでは辛いロックダウンも経験しています。その間、ママとパパと一緒に乗り越えた、ママとパパが大好きな孫娘。いつもパパとママの優しい視線が孫娘には注がれていました。それはかわることなく永遠だとおもっていたはずです。
それが、弟が家に帰ったとたん、すべての生活はうまれたばかりの、弟中心になり、今まで自分だけに注がれていた、ママとパパの優しい視線が、すべて弟に注がれる現実を目の当たりにして、大人が考える以上にショックだったようです。
さらに、お稽古ごとに行っても、お友達の家に行っても、皆が生れた弟の話ばかりするようになり、それまで、孫娘の話しをしていたのが弟の話ばかりうつり、凄く寂しさを覚えたようです。
7歳も離れているから、姉として接してくれるものと思っていた娘夫婦は、始め激しいやきもちに驚いたようです。
ただ、よかったのは、孫娘は、自分の感情を口に出してはっきりと出せる子なのです。だから、わかりやすかった。
私が娘家族をみながらわかったのは、孫娘は今まで以上に、パパとママ、そそして私や他の方々の視線を、しっかりとみていて、その優しい視線が弟だけに注がれることに、激しい寂しさを覚えているということでした。
それまで7年間。一人っ子できたので、パパもママも、爺もババも、周りの方々も、孫娘だけに優しい視線を注いていました。
それが、ある日を境に、自分以上に弟に注がれているわけです。
大人はつい、産まれたばかりの方へ先に、優しい視線を注いでしまいます。
当たり前と言えば当たり前ですが、でも先に産まれた姉や兄という存在が
寂しい思いをするということが、あまり理解されません。(私も姉です)
よく、次の子が生まれると、先のこが赤ちゃん返りするといわれていますが、それは「親の優しい眼差し」をとりもどしたいからだとおもいます。
で、私は、まず、孫娘から先に笑顔で視線を向けるようにしました。
娘夫婦も、頑張ってはいましたが、出産後ですから、なかなかうまくはゆきません。つい、感情を出す孫娘を怒ってしまう。
そこで、こういう時は爺とババの出番なんです。
爺とババは、まず、先に産まれている孫へ視線を注いだり、ハグしたり、
話し相手になったり……。
私は、いかに孫娘が産まれた時に、皆が大喜びしたか、どれほど、孫娘は可愛がられていたか、ということをiPhoneのなかにある写真や動画をみせながら、楽しく話しました。
心の中の自己肯定感を喜びや安心として高めてあげるのが、爺とババの役目だとおもいました。
爺とババは、とにかく孫娘を優しい視線で見守る。これにつきます。
そこからの、うまれてまもない孫息子へ。
優しい視線を、孫娘に充分注いでから、産まれたばかりの孫へ注ぐ。1ケ月もすると、落ち着いてきて、孫娘は、弟をかわいがる優しい姉となってきました。
今では、弟が大好きすぎて、お世話し過ぎで、注意されていますが。笑
弟も、姉の気持ちがわかるのか、孫娘の真似をしたがりますし、学校から帰ったら、ものすごく喜んでいます。
送られてきた写メに、孫娘のお友達の家で、孫息子が頭にリボンなどをつけられ、女の子にさせられた写メがありました。👆
これ、私も3歳年下の弟にやったことがあります。笑
ただ、私が弟を女の子にしたときは、弟が3歳くらいでした。
友達と遊んでいたら、いつもついてくるので、友達と「妹なら遊んであげる」と言って、スカート履かせて、髪にリボンをつけました。弟はされるままでしたが、その内、祖母がやって来て私は大目玉👀怒られました。
我が娘は、写メで撮るほど、気持ちが大らかで、よかったと思いました。
先日、娘が私にLINEで感謝の気持ちを伝えてきたのは
いつも優しい母性の視線が自分に注がれていたこと、さらに、嫁いでもいつでも帰る家を守ってくれていたこと、などでした。(怒ったらもの凄く怖いですけれど)笑 もう、娘はしっかり自立しています。大丈夫。
私が学んだ心理学の先生は、「親はもちろんのこと、たとえ血が繋がっていなくとも、他人でも、男性であっても、とにかく幼き頃、そばに母性という優しいまなざしが注がれていることが大切」と話していました。
男性にも母性はあります。私の亡き父は、父性も母性も併せ持っていました。こどもを愛しむ優しい眼差しは、私も娘も忘れません。母の母親の介護でも、素晴らしかったです。父の老々介護をする様子は、私も娘も思わず手を合わせるような、感謝しかない介護の姿でした。しかもそれを誰にも言いませんし、いつも陰で支えていました。未だにその時の父の姿と優しい眼差しを忘れません。
大人もそうですよね。怖いまなざしや無視するより、優しい眼差しのほうがよいに決まっている。
特にこれからは、歳を重ね老いてゆくほどに、そばに居る人の眼差しに敏感になってゆくかもしれません。
今朝は何故か、思い出したので、このようなことを書いてみました。
爺とババは、まず先に先に産まれた孫への優しい眼差しやハグからの
下の孫へ。そして姉弟ともに平等に愛することですね。いいことはいい、悪いことは悪い。ネガティブな面での「お姉ちゃんでしょう」「お兄ちゃんでしょう」という言葉ほど、嫌なものはありません。弟のいる姉の私が思います。
ありがとうございます。