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短編小説/ファミリーとレストラン


父親の光太郎のボーナスが支給された週末は家族で外食するのが
沖田家の恒例行事だ。

「何か食べたいものある?」

土曜日の3時過ぎ、家族が寛ぐリビングで母親の慶子が尋ねると
「私焼き肉」と次女の明里がスマホを見ながら挙手した。

「おれは寿司がいい」
 旅番組を見ている父親の光太郎が続く。三浦半島を旅する女性三人組が
 新鮮なマグロの寿司を頂くシーンが画面に広がる。

「しゃぶしゃぶもいいわね。おいしいお野菜食べたいわ」

編み直すための古いセーターをほどく祖母の幸江が顔を上げた。

「飯なんかなんでもいい。それよか課金する金くれ」

スマホゲームに夢中の中学生の翼の希望は一瞬で却下。
里帰りしていた長女の香織と慶子は中華がいいと一致している。

意見が割れるがみんな譲らない。どうする~?だけが部屋を飛び交う。
その時にお昼寝していた4歳になる香織の息子の悠太が起きてきた。
おいで~と孫を溺愛する光太郎が呼ぶと悠太はぽよぽよ歩いて膝に座った。

「ゆうくんは食べたいものある?」
悠太は目をこすりながら「ぷちぽぉっか」と答え、行き先が決まった。

四人席をくっ付けたテーブルに料理が次々運ばれてくる。
ハンバーグセット。ミラノ風ドリア。イカスミパスタ。マルゲリータ。
そしてお待ちかねの四つ葉型のプチフォッカも到着。
悠太はサイゼリアのプチフォッカが大好き。
彼のリクエストならみんな異議なく賛成だった。

悠太はプチフォッカをメインにめいめいの料理を一口づつもらう。
「みんなでちぇあするとおいしいね」
だが悠太はプチフォッカを絶対誰ともシェアしてくれない。
生ハムをつまみに小さい口で葉っぱに噛りつく。
さんざめく笑い声が小皿に均等に盛られた小エビサラダに降り注いだ。


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席を誤ったな。
仕切りを隔てた隣のテーブルはずいぶん賑やかだ。
確かに静かに話す場所ではないが今日は特に騒がしい。
家に帰れないから取りあえず駅前のサイゼリアに入ったはいいが
もう17年付き合いがある息子の亮吾と何を話していいか分からない。
気まずさの真ん中にドリンクバーのコーラが二つ。
あくびをしたような泡がゆらゆらと立ち上る。
多分こちらが聞かない限り沈黙は解消されないだろう。

「何か、悩みとか、あるのか?」

小さく尋ねた。いつもより低い声になった。
制服姿の亮吾は俯いて黙ったままだ。ネクタイもぴっちり締めてある。
県内有数の進学校である亮吾の高校は土曜日も授業があるからだ。
彼は何も答えない。どこでもない淵に目を落としていた。

亮吾は今日万引きで捕まった。
100円均一の店でボールペンを7本ポケットに入れた現場を保安員が
見ていて、店を出たところで声を掛けられた。
彼は抵抗せずに万引きを認め、父親であるおれに店から連絡が来た。
常習性はなく進学校に通う生徒だったことで警察には通報しないと
店長の温情によって厳重注意だけで許してもらった。
もちろん何度も謝罪し、亮吾も「二度としません」と自分の口で言った。

ずっと真面目な子だと思っていた亮吾がなぜ。
今まで一度も問題を起こしたこともなく成績も良かった。
卓球部の部長で、学級委員に選出されるぐらい教師からの信頼も厚い。
夜にコンビニ前でたむろするような連中とは程遠いー、親として安心できる息子だった。
携帯を持つ手が震え、頭が真っ白になって、何を話したのか覚えていない。
ただ妻が外出中でよかったとだけ思っていた。できれば知らせたくないから
今も妻には報告はしていない。亮吾は連絡先としておれの携帯番号を教えた。その気持ちを汲みたかった。

「ほんとにボールペンが…欲しかったのか?」

まさか。亮吾は吐息のようにぼそりと言った。さっきまで丸まっていた肩が少しだけ開いた。こうしてみるとずいぶん体格がしっかりしてきた。毎日会っているのにどうして今日になって気付くのか自分でも不思議だった。

「じゃあ、なんで?」

分からない。呟いてすぐ「別に何も欲しくなかったんだ」と俯いたまま
亮吾は口をへの字にした。

「クラスにさ、不登校の奴がいたんだよね。背が小さくて、声がちょっと変わってて、それをいつもみんなにからかわれてた。おれはいじったりとかはしなかったんだけど、助けもしないし、止めもしなかった。けどそいつ、いつの間にか学校来なくなっちゃって…。多分去年の夏ぐらいから一回も登校してないと思う。友達っていうほど仲良くないけど、おれ学級委員だから、時々そいつに連絡事項とかをLine して、たまに軽く雑談して、ほんとにそのぐらいの付き合いだった。そいつがさ、先週学校辞めたんだ。九州の方に引っ越すんだって。結局挨拶とかにも来なかったんだけど、おれにLine 寄越してさ、仲良くしてくれてありがとうって書いてあったんだよ。いや、全然仲良くなんかしてないし、ありがとうって言われることもしてないし、なんで?ってさ…。それ読んだら、なんもしてやんなかったなって。やってるようで、実は何もしなかったじゃんて。なのにありがとうだけちゃっかりもらって、自分がすげえ偽善者っていうか、卑怯っていうか、ずるい奴だってのを証明したくなって、気が付いたらボールペン握りしめてた」

声は震えたが涙はなかった。彼が悲しいのは自分に腹が立っているからだ。
そうか。頷きながら泣きたいのはこちらになっていた。

「でもありがとうが言える相手がいたことは、その子にとっては
 心強かったと思うよ。さよならを誰にも言えないよりずっといい。
 お前は卑怯なんかじゃないよ。亮吾はそんな奴じゃない。
 お前はお店の人にちゃんと謝った。二度としないと自分の口で言った。
 おれはそれを見てたし聞いていた。そのお前を信じるよ」

 刹那に亮吾は横を向いて乱暴に洟を啜った。
 
「腹減ったな。なんか頼もう」

 二枚あるメニューを掴んでひとつを亮吾に渡した。
 彼は少し赤い目でページを開いてみていたが
 中々決められないようだった。
 おれはわざと大きい声「えーっと」と暗い空気を一蹴した。

「どうしようかな。腹減ってるからなんでもうまそうに見えるな。
 ハンバーグもいいし、ピザもいいな。あっ、エスカルゴ食おう」

「おれエスカルゴ食ったことない。うまいの?」

 亮吾がメニューから顔を上げた。いつもの静かなまなざしで。

「うまいよ。フォッカチオに付けて食うと絶品。食べる?」

「どうしよう。なんか勇気いるな。カタツムリだろ?」

「その辺のアジサイにいるのとは違うから大丈夫だよ。
 食用に飼育された貝だと思えばいい。試してみろよ。
 大丈夫だよ。お前もう大人なんだから」

 そうしてめいめいオーダーしたチキングリルセットとほうれん草のソテー  
 とカルボナーラの間にフォッカチオとエスカルゴが置かれた。
 たこ焼き器みたいな皿にオリーブオイルとガーリックバターの
 香ばしい香りが漂う。食えよと促すと亮吾はフォークを持って
 恐る恐るエスカルゴに手を伸ばし、突き刺したひとつを口に運んだ。

「わ、うまい。ほんとだ。貝みたい」

「だろ?このタレにフォッカチオ付けると、またうまいよ」

つい気分が良くなってワインのデキャンタまで注文していた。
いつしか普通に会話しながら食事をしていた。その時だった。

「あたしさ、離婚しようと思ってんだ。仕事見つかるまで
 悠太と実家にいさせてもらっていい?」

仕切りを隔てた隣のテーブルから聞こえてきた。
えー?そうなの?おかしいと思ったよ。もう決めたの?
一緒に食事をしている家族らしき人物が騒然と言い出した。

「もう話し合いも済んでるの。すぐアパート見つけるから、少しだけ
 お世話になります。でもお父さん悠太がいたら嬉しいでしょ?」

 そういうことはもっと早く言いなさいよ…。
 やんや文句を溢しつつも仕方ないという空気になっていた。

「そんな大事な話、こんなとこでするんだな」

 亮吾が小さな声で囁いた。

「こういう所だからできるのさ。ちょっと開放的になれるからな。
 おれも今日、お前とここに来てよかったと思ってるよ」

 目が合うと、…ふふっと互いに笑った。
 エスカルゴはもう空っぽ。いつかワインも一緒に飲めたらなと思った。
 やがて満席になった店内で流れるカンツォーネが
 みなの打ち明け話を上手に包み込でくれている。
 壁の天使たちも「何も聞いてないよ」というようにつんとすましていた。
 

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こちらの企画に参加させて頂きました。
福島太郎様 はじめまして。
文字数大幅オーバーで大変申し訳ありません。
お時間のある時にお読み頂ければと思います。
サイゼなのでつい長居してしまいました💦🙇🐧

#サイゼ文学賞


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渡鳥
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