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シロクマ文芸部/文豪


 爽やかな秋空だってのに私の胸は淀んだブルーだった。
 気の重い仕事を任されたからだ。
 担当を言い渡された日からずっと憂鬱である。

「清野、お前来週から諏訪に行ってこい」
 
 先週の金曜日突然編集長から命じられた。
 いきなりのことに戸惑い「はい?」と変な声が出た。

「諏訪って長野県の諏訪ですか?取材か何かですか?」

「城戸崎先生の原稿が遅れてるんだよ。
 あの人小説書く時は物語の舞台になる場所で執筆するのは知ってるだろ?
 それで今は諏訪にある旅館に泊まり込んでるんだけど
 どうも筆が進まないみたいでな。
 こだわりが強い人だから一旦つまずくとぴたーと止まっちまうんだ。
 そうなると電話も出ない。
 同行してる秘書にも取り次ぐなって言ってるみたいでな」

 「それでどうして私なんですか?
 城戸崎先生なんて大作家の方を私みたいな新人が原稿を急かすなんて
 とてもできません。行ってなにをすればいいんですか?」

「近くに座ってりゃいいんだ。
 ここだけの話、城戸崎先生は女性編集者が付くと筆が早まるんだよ。
 特にお前みたいな二十代ぐらいの若い女がベストなんだ。
 このままじゃ締切に間に合わないから何とかしてこい
 間違ってもスーツなんかで行くなよ。デートだと思え。
 男が好きそうな色気ある服装を心掛けろよ」

 いきなりの指名の使命。しかもなんちゅう注文。
 えー!?と思ったが平社員の辛いところ。上司には逆らえなかった。

 翌日に新宿から特急のあずさで諏訪に向かった。
 編集長に言われた通り体の線が分かるようなワンピースで。
 三日間は宿泊するつもりの荷物を詰めたスーツケースもまた重い。
 しかも親に言えない仕事だ。
 まだこんな時代錯誤な作家がいるんだと溜め息が出る。

 日本を代表するベストセラー作家の城戸崎幸三。
 学生の頃から彼の小説を愛読していた。
 ミステリーが主流だが、ここ数年は家族の在り方や人間の悲哀を描いた
 大作の純文学をよく書いている。
 鋭い目線で社会の理不尽を問いながらも
 もう一度人生を見つめ直したくなる慈愛に満ちた馬力ある小説。
 一歩先に進むことの大切さを教えてくれる彼の作品は
 真冬にポケットに忍ばせるカイロみたいだった。そっと温めてくれる。
 編集者としても読書としても尊敬していた。
 なのに若い女がいないと執筆できないなぞあまりにイメージダウン。
 ショック過ぎて泣きたかった。いやもう半分ベソ掻いていた。。

 ようやく到着した諏訪の山々はもう紅葉が進んでいた。
 空が広くて空気が清々しい。
 飛び出す絵本の両端を思い切り開いたように遠くまで全部見える。

 銀座の有名和菓子店で買った手土産を手にタクシーで向かった。
 最後の文豪と呼ばれる作家が滞在するのに相応しい格式ある老舗旅館。
 出迎えてくれた女将さんに名乗ると秘書が迎えに来てくれた。
 案内されたのは長い長い廊下の先にある離れの個室。
 緊張で手入れの行き届いた中庭の美しい庭園を眺める余裕もなかった。
 
 秘書がノックをして通されたのは三方に窓のある二間続きの広い和室。
 ささくれのない浅葱色の畳が敷かれた座卓の前で
 こちらに背を向けてあぐらを掻いている城戸崎幸三がいた。
 白髪頭に大きい背中。旅館の浴衣を羽織って考え込んでいる。
 確かに煮詰まってる様子だった。
 秘書に促され靴を脱いで部屋に上がって敷居の前で正座した。
 心臓がバクバクと競り上がってくる。

 「はじめまして。お忙しい中失礼致します。
 あけぼの出版から参りました清野と申します。
 あの原稿の進行はいかがでしょうか…」

 挨拶の途中に城戸崎がくるりと振り向いた。
 私は「か」の形で口がフリーズした。
 あれ。思っていたより優しそうで清潔な印象だ。
 城戸崎幸三はほとんどメディアに出ない。
 文学賞の審査員もやりたがらずパーティーなども出席しない彼は
 十五年前のままの写真を著作に掲載してるので怖そうな印象だったが
 実際の城戸崎はいかつい作風に反して柔和な目をしていた。
 だがその瞳は私を認めるなり素早く動き
 値踏みしているのようにぎゅっと細めて上から下までをなぞっていった。
 次はどんな女がきたか採点してやろう。
 品定めされていると思うとたまらなかった。
 だがもう身を縮めてじっとしているしかない。
 さすがにいきなり「脱げ」はないだろうけれど
 好みじゃないから帰れも勘弁してほしい。
 明後日までに仕上げてもらわないと間に合わない。
 何があろうとも手ぶらでは帰れなかった。
 
 取りあえず深々とお辞儀をしてゆっくり頭を起こすと
 目の合った城戸崎は「あーもう!」と口を曲げて髪を乱暴にむしった。

 「あいつまた送り込んできたな。ちょっと遅れるとすぐこれだ。
 毎回毎回奥の手使いやがって。書けばいいんだろ書けば。
 やるよ。ああやるよ。やればいいんだろ!」

 彼はひとしきり喋ると、背を向けて万年筆を握ると
 ぶつぶつ言いながら原稿用紙にガリガリ書き出した。

 なんなの一体。正座をしたまま茫然とした。
 すると携帯が鳴った。編集長からだった。
 私は「失礼します」と告げて部屋を退出した。

 ドアを閉めてから小走りで廊下に移動して電話に出た。
 「着いたか?」と第一声に聞かれた。

 「今ご挨拶させて頂いたんですけど、急に怒り始めてしまって…。
 やっぱり私では役不足だったんではないでしょうか」

 不安になって尋ねると「じゃあそのままいろ」と編集長は笑った。

「実は城戸崎先生は極度の照れ屋なんだよ。
 特に小綺麗にしてる若い女が苦手なんだ。
 同じ部屋に居られると落ち着かないから
 早く帰ってもらいたくて筆が進むんだ。
 お前がいて怒ったんならいい傾向だ。
 絶対原稿受けとるまで居座ってろよ」

 含み笑いする編集長にへ?と思ったがすぐにおかしくなった。
 なんて可愛い人。怒ったんじゃなく照れてたのね。
 私は小さく吹き出しながらもっと城戸崎先生が好きになった。
 これで名作が生まれるならこんな楽しい仕事はない。
 水色の爽やかな空みたいに私の気持ちもようやく晴れ渡った。

 

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 こちらの企画に参加させて頂きました。
 楽しく書けることができました。ありがとうございました☘️
 諏訪には親類がいて何度も訪れています。
 住みたいぐらい素敵な所。
 今ぐらいの季節は紅葉が見頃でしょうね。行きたいなあ。


#爽やかな
#シロクマ文芸部

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渡鳥
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