見出し画像

短編小説/天井にお月様


子供の頃から暗い部屋が嫌いで寝る時も豆電を点けていた。
実家の私の部屋の照明は半透明のカバーが嵌まった四角形。
豆電にすると丸いぼうっとした山吹色の明かりが灯って
まるでお月様みたいだった。
それを見上げてると安心する。
眠れない時は自作のお話を作ったり週刊漫画の続きを考えたりして
毛布にくるまりながら睡魔がやってくるまで過ごす。
いつしか目の前がぼやけてくる。
瞼のカーテンがゆっくり閉じる間際に見えるのは滲むお月様。
おやすみって言ってるみたいにそっと消えてゆく。
そうしていつの間にか眠りに就いている。

心理的習慣は大人になっても変えられない。
自分にとって安心するものなら特に。
実家を出て一人暮らしをしてからも私の部屋は常に灯りがあった。

二十歳になってすぐネットで知り合った彼と付き合い始めた。
高校二年の時に最初にできた彼とはわずか2ヶ月で終わったから
3か月間続いてる今の彼は
初めてちゃんと付き合う人だった。

何度もデートして数えきれないほどキスもした。
三歳年上。背の高いバイク好きの彼。
タンデムに乗せてもらってあちこち遊びに行った。
那須。箱根。江ノ島。軽井沢。お台場。ディズニーランド。
スマホは彼との写真だらけ。
単純でちょっとバカだけど一緒にいて楽しい。
疑いなく相思相愛。
彼はいつも私と寝たがっていたけど
簡単に許したらそれだけの女になってしまうから時間を重ねた。
ちゃんと愛してくれる人でなければ嫌だった。
最初の人は。

なんてことのない水曜日に「部屋に行きたい」と彼に言われた。
そこに含まれる意味をとぼけるほど清純を売りにしてない。
これ以上は彼をガッカリさせる。
半分おろおろしつつもいよいよか…と肚を決めた。

儀式というほど仰々しくもないしスポーツというほど爽やかでもない。
色々忙しいんだなと言うのが率直な感想だった。
あとやっぱりベッドは広い方がいいなと思った。

「もう寝るから電気消そうよ」

 シャワーを浴びてベッドに戻ってきた彼が言った。

「あーだめ。私暗いと眠れないの。
 子供の頃からこれで寝てるから」

 慌てて照明のリモコンを掴んだ。

「えーおれ真っ暗じゃないと寝られないんだよ。
 隙間から漏れるちょっとした光もいやなんだ。
 明日も仕事だし、これじゃ寝れないよ」

 さほど眩しくもない豆電なのに
 まるで目が潰れるかのように彼は両手で顔を覆った。

 なんで?
 一緒にいるんだよ。
 お互いの顔を見つめ合っていればいいじゃない。
 さっきまであんなに私を欲しがっていたのに
 もう自分だけのモードなの?

 出かけた言葉を喉元で止めた。
 こんな夜に言い合いなんかしたくない。

「分かった。じゃあ消すよ」

 私はリモコンで豆電を消した。
 ふっと暗闇が落ちてきた。まるで墨汁を溢したような漆黒。
 何も見えない恐怖に思わずボタンを押した。
 パッと照明が点く。
 見慣れた家具やハンガーに掛けられた服が現れたことにホッとした。

 「やっぱり無理。豆電ならいいでしょ?
 これなら全然明るくないじゃない」

「明るいよ。仰向けになったら真上じゃん。
 目瞑ったってうっすらチカチカするし」

 どこがよ?セピアだよ。
 まさかこんなことでぶつかるとは思っていなかったから
 どうしていいか分からなくなった。
 けどもう一度真っ暗にする勇気はなかった。
 リモコンを持ったまま黙り込んでいた。

 「ああいいよ。おれ帰るから。まだギリギリ終電あるし」

 彼はさっさと服を着だした。

「ー怒ったの?」

「怒ってないよ。こんなことで。
 どっちも我慢しない方がいいからだよ」

 顔は笑っていたが声はつっけんどん。
 自分に合わせない私に苛立っていた。
 ていうか帰ることが優しさのつもりなんて。
 ごめんなさいって言わなきゃダメなの?

 靴を履く彼にベッドから降りもせず手を振ると
 ちゃんと鍵掛けておけよ、と残して出ていった。

 そのまましばらく寝そべっていた。
 もうちょっと余韻を味わいたかったのに
 とっくに過ぎていってしまった。
 というか塗り替えられた。

 10分ぐらいしてから彼から着信がきた。

 『さっきはごめん
 明日大事な仕事があるから
 今日は寝ておきたくて』

 謝ってるように見せかけて全然謝ってない。
 そもそも謝るようなことでもないけど。
 こういう習慣は人それぞれだから。
 けどなんだか保険掛けられた感じ。
 男ってこういう生き物なのね。
 要はもう目的を果たしたから家でゆっくりしたいんでしょ。

 『いいよ
 こっちこそごめんね
 ゆっくり休んで』

 嘘には嘘で返す。
 スマホを脇に放って照明のリモコンで明るさを切り替えた。
 豆電球ひとつ。
 たったひとつ分。
 けどこれが決定的な私たちの違い。
 これを埋められるか
 さらに広がってゆくかで
 きっと今後が変わってゆくんだろう。

 ふうーっと間延びした息を吐いた。

 でもやっぱりこの明るさが落ち着く。
 隣に誰もいなくたっていい。
 天井にお月様がいれば私は安らげるから。
 
 今日はまだ眠くないのに
 少し滲んでぼやけてるけれど。



いいなと思ったら応援しよう!

渡鳥
お気持ちだけで充分です。チップはいりません。