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シロクマ文芸部/BITTER &SWEET


「ハチミツはアカシア堂」

当時7歳だった私が一躍顔を知られるきっかけになったCMでの一言。
初めてのCM撮影で緊張していた私は構えるカメラに上手に笑えなかった。
黄金色に輝く小瓶を持つ手も震えNGを連発した。

母親は猛烈なステージママで私を芸能界でスターにさせようと必死だった。
カメラの後ろに立って笑えない私に向かって自分が笑って見せるが
その顔がだんだん険しくなる。離れてても分かる眉間のシワ。
どうしようどうしようと焦って笑い方がだんだん分からなくなる。
監督は容赦なく「もう一回」を要求する。しんとする重い空気。
やれやれと溜め息と溢すスポンサーを事務所の社長が必死にフォローする。
しまいには「ハチミツ」という言葉も出てこなくなった。
13回目のNGの後に私は廊下で母親と社長から叱責に近い指導を受けた。
「笑うんだよ。こう。ほら口の端を上げるんだよ。ほら」
分かってるけどできない。逆にどんどん涙が出てくる。
せっかく決まったCMなのに。あなたのためでしょ。皆に迷惑掛けないで。
まあまあと取りなす広告代理店の男性が商品のハチミツの蓋を開けた。
「ほら、舐めてごらん。おいしいよ。この味を紹介したくなるから」
男性は私の手を掴んでつややかな黄金色の粘膜に指を差し入れた。
どこまでも沈んでゆくとろりとした冷たさが指にまとわりつく。
抜いた指から滴り落ちる液体が蛇みたいにゆっくり下に伝っていった。
「…甘い」
飲み込むというより溶けてゆく。私はハチミツを口に含んで言った。
本当は味なんて分からなかったけど子供なりに取り繕おうとしたのだ。
「ね?おいしいだろう。言えばいいだけさ。ほら笑ってごらん」
男性は私をくすぐりだした。私は体をくねらせて矯声を発した。
笑う私の腰や背中を妙に固い指の腹が這いずる。
その時々に滑ったかのように男性の手が胸やお尻に触れる。
私はおかしいふりを続けながら気づいてないみたいにしてごまかす。
笑わない私に手を焼いていた母親も社長も微笑ましげに黙って見過ごす。
そうしてなんとか笑顔が作れた私はやっとCM撮影を終えた。
テレビで放映されると学校や街中でも「ハチミツの子」と顔を指された。
けど仕事はたいして増えなかった。
母親はどんな端役のオーディションにも行かせたが受からなかったからだ。
笑えなかったらまたくすぐられる。
肌が覚えている感触がおぞましさを蘇らせて余計にひきつる。
それが怖くて何もできなくなったからだ。
やがて自主的にオーディションをサボるようになると
適性がなかったと諦めたらしい母親も何も言わなくなった。

あれから20年。私は芸能界とは全く違う職種に就いた。
今日はカフェで彼氏と待ち合わせしている。
「お待たせしました」
ウエートレスが運んできたパンケーキが目の前に置かれる。
添えられるハチミツのミニポット。
透明な金色。ゆるく揺れる夕暮れ前のような光が私を映す。
ハチミツは純粋という文句と共にパッケージされる。
甘くて柔らかく混じりけがない。
人の手に触れた時点で雑菌に晒される。終わる少女の時間。
あの時よりは自然に笑えるようにはなったけれど
柔らかいハチミツに差し込まれた穴の跡を今でも覚えている。
少し苦い後味を残しながら奇妙な形を保ってぽっかり窪んだままだ。





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こちらの企画に参加させて頂きました。
ハチミツと言えばスピッツのアルバム。
歩きだせクローバーが好き。
お読み下さりありがとうございました🤗🐧

#ハチミツは
#シロクマ文芸部


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