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短編小説/フードコート


日曜日のショッピングモールは人だらけ。
螺旋状の真っ白な館内には200店舗以上が連なっている。
ほとんどが若者向けの雑貨屋かアパレルショップ。
綺麗な女性店員がこぞってタイムセールの呼び込みをしていた。

本当は中を覗きたい。
そろそろ秋冬物も揃ってきてるし。
あっあのワインカラーのカーディガン可愛い。

「ねえお腹空いたあ」

そちらに顔を付き出していた時に聞こえた。
五歳になる娘の花乃がショップの少し前でとつんと止まり
繋いでる手をぎゅっぎゅっと握ったり開いたりした。
むすっとした頬。
せっかく可愛いワンピースを着せてあげたのに全く笑顔がない。

花乃はこのところずっとむすくれている。
パパがいなくなったからだ。
4ヶ月前に離婚して私が子供たちを引き取った。
ベビーカーに乗ってる一歳半になる次女も一緒に。

私から切り出した。
夫が大学時代の同級生と浮気したからだ。
二度もラブホテルに行っていたのがスマホのやり取りで発覚した。

厄介なことに私は人一倍勘が働く。
「今日遅くなる」という通知だけでおかしいと分かってしまった。
そしてそれを追求せずにいられない性分だった。

夫が完全に油断してる時を狙ってスマホの開示を求めた。
彼は焦りまくって言い訳しながらも最後は観念して謝罪した。

許す選択はゼロ。
即離婚を突きつけて親権も取った。
夫はほとんど反論せずに判を押した。

「じゃあ先にご飯にしようか。
 花乃は何が食べたいの?」

「お子様ランチ」

 またかと思った。
 花乃はいつもお子様ランチを注文するが食べきれたことがない。
 好き嫌いが多いからだ。
 残したものは毎回夫が食べていた。
 でも私はしたくない。
 やめてと言ったのに頼んだなら自分で食べるべきだからだ。

 「いつも残すじゃない。
 うどんか小さなラーメンにしたら?」

 「お子様ランチがいいの」

 花乃はそれしか答えない。
 頑固なのは私似だからどうしようもなかった。

 「じゃあ今日はちゃんと食べてよ。
 ママは食べないからね」

 手を引っ張ってベビーカーを押しながらフードコートに向かった。
 けれど日曜日のお昼時。席はほぼ埋まっていた。
 うろうろ探していると「もう空きますからどうぞ」と
 四人組の家族が席を立った。

 「すいません。ありがとうございます」

 子供用の椅子を用意して花乃を座らせた。
 「じゃあ注文してくるからここにいてね。
 夕依のこと見ててね」

 ベビーカーを置いてバックを肩に掛けた。
 花乃は「うん」と返事をするが妹の夕依のことはちっとも見ない。
 「お願いね」
 もう一度念を押したがやはり「うん」と言うだけだった。
 5歳と一歳半の子供を置いて行くのは心配だが仕方ない。
 
 急いでお子様ランチのある店舗に注文に行った。
 「1200円です」と店員は会計した。
 高いなと思った。たいした量もないのに。
 経済的にも贅沢できないのだが
 今日が最後と子供が欲しがるものはなるべく買うことにした。

 トレイを受け取って席に戻ろうとした時だった。
 カランカランと甲高い音が響いた。
 振り向くとフードコート内のお客さんの視線が一点に集まっていた。
 花乃と夕依のいる私達のテーブル。
 ベビーカーに座る夕依が麦茶の入った乳幼児用の
 プラスチックのカップを床に落としていたのだ。

 音に驚いていたお客さんの目線が一秒で冷えた。
 小さい子どもだけ残して親なにしてんの?
 無言のまなざしがそう言っていた。

 いやいや。しょうがないじゃない。
 誰かが食事を取りに行かなきゃならないんだから。
 びっくりさせて悪かったわよ。
 お子様ランチを持って戻る途中に
 隣の席にいた中学生と思われる女の子3人組のひとりが
 落ちたプラスチックのカップを拾った。
 しかも口を付ける部分をわざわざナプキンで拭いてくれてるのだった。

 「ありがとう。ごめんなさいね」

 急いでテーブルに帰るなりにこやかに女の子に礼を言った。
 
「いえ…。いいんです」
 
 女の子は少し恥ずかしそうに頷いてそそくさと自分の席に戻った。
 ありがとうだけど余計なお世話だわ。
 彼女の親切が私をもっと駄目な親にした。
 やるつもりだったのに「人にやらせた」を加えないでよ。
 女の子たちは親切したことでいい気分になってるのか
 夕依を見ながら「可愛い」なんて言いながら手を振ってくる。

 鬱陶しいな。

 だから日曜日にショッピングモールなんて来たくないのよ。
 しかも小さい子どもが二人だからほんとに大変。
 夫がいた時はトイレに行きたいときは子どもを見ててもらえた。
 ベビーカーに荷物を預けておくこともできたのに
 ひとりだと全てから目が離せない。
 ひとつのことをする前に別の準備が必要になりものすごく手間が掛かる。
 取りあえずお目当てだった子供服も買えたし
 ボールプールやゲーセンでも遊ばせたし
 食べたらすぐ帰ろうと思った。

「はい、お子様ランチ。今日は残さないでね。
 全部食べ終わったらプリン食べていいから」

 飛行機の容器にオムライスが乗ったお子様ランチを置いた。
 フライドポテトにチキンナゲット。ブロッコリーと人参の温野菜。
 そしてデザートのプリン。赤黄緑の三原色が鮮やか。
 親をしぶしぶ納得させるかろうじて栄養がありそうな組み合わせだ。

 開けてやったおしぼりで手を拭いた花乃は
 さっそくスプーンを掴んで食べ始めた。
 口が小さいのによそったまま詰め込もうとするから
 入りきらなかったご飯や玉子がぼろぼろ溢れる。
 
「ほらゆっくり食べな」
 
 注意しても花乃は聞かない。
 もしゃもしゃと噛んでから目一杯口に含めてまた落っことすのだ。
 ほーらあ。
 こっちだって怒りたくないのにそっちが怒らせる。
 わざとなの?と溜め息が出る。
 
 「ねえプリン食べていーい?」

 注文したうどんを小さく切って夕依に食べさせていると花乃が言った。
 見るとまだトレイにはまだブロッコリーとニンジンが残っていた。

「全部食べてからって言ったでしょ。野菜残ってるじゃない」
「食べたくない。ねえプリン」
「だめ。今日は残さないって約束したでしょ。このぐらい食べなさいよ」
「やだ。嫌いだもん」

 花乃はぶうっと口唇を突き出して前後に足を大きくぶらぶらさせた。
 思い通りにならないことがあるとやる癖だ。
 こうなると頑として言うことを聞かない。
 何度もこのわがままに付き合わされてきた私は苛々した。

「だめったらだめ。食べる約束したでしょ?だから頼んだんだよ」
「ご飯は全部食べたもん」
「じゃあ野菜も。おいしいから食べてみなよ」
「やあだ!」
「じゃあプリンもなし。お野菜食べた人だけプリン食べられるんだよ」

 さらに突き出た花乃の口唇は潰れたたらこみたいにぐんにゃりした。
 私は無視して夕依にご飯を食べさせた。

「パパなら食べてくれるもん」
 
 花乃がぽつり言った。
「パパならいいって言うもん。野菜食べてくれるもん…」

 黒い目に涙が溜まっていた。瞬きひとつで落ちそうに。

 さあっと体が冷たくなった。
 待ってよ。どうして私が悪者みたいになってるの?
 あなたたちのパパはあなたたちより他の女を選んだんだよ。
 二人を可愛がってるふりしながら
 別の女のことで頭がいっぱいだったのよ。
 なのにそっちのが優しくて私の方が意地悪なの?
 おかしいじゃない。
 顔が引きつってくるのが分かる。
 背中や胃の辺りが絞られた雑巾みたいにぎゅううっとなった。

「もうパパは関係ないの。食べなさい!」

 つい語気が強くなった。胸がざわついてしょうがなかった。
 今の状況をちょっと後悔してるのを見透かされた気がしたからだ。
 生活不安しかない。
 家族三人を養うために働きずくめになるなんてうんざりする。
 やってゆけるのか自信もない。
 でもこれしか選択肢がなかった。
 夫は浮気したが娘たちのことはとても可愛がっていた。
 だから取り上げる罰を与えたかったのだ。
 自分が傷ついた以上のことを。そのことに意固地になった。

 でも取り上げたものの扱いに手をこまねいている。
 一人で子育てするつもりなく産んだからどうしていいか分からない。
 悪いのはあの人なのになぜ私が全部背負うことになってるの。
 彼は子供に会えなくなったけどその分自由になった。
 まだ好きなだけ恋愛できるし好きなだけ遊べる。
 取り上げた気になってたけど実は彼が欲しいものを与えただけなのかも。
 その気持ちが拭えなかった。誘導された敗北感。
 パパっ子で私に懐かない娘に間違いを指摘されてる気がしていた。

「いいよ。じゃあプリン食べて。
 その代わりもうパパって言わないで。
 もういないんだから」

 我ながら意地悪だと自覚していた。
 こうなったのは子供たちのせいではないのに。
 この子はいきなりパパを失って寂しいのにどうしても寄り添えない。
 グスグスと洟を啜っていた花乃はプリンに手を伸ばして掴んだ。
 そして縁に出てるビニールの蓋を引っ張ったが取れなかった。
 
「開かない…」

 そう言って私に渡してきた。指が濡れていた。

 3センチもないプリン。
 こんなことで子供を泣かせてる自分が情けなくなった。
 むきになってバカみたい。
 だが引っ張っても粘着力が強くて蓋が開けられなかった。
 夫はいつも簡単そうにべりっと取っていたのに
 ものすごく固くて容器から全く剥がれてくれないのだった。

「ごめん。ママも開けられない。持って帰ろう。お家で食べようよ」

 テーブルに置いたプリンを恨めしそうに見ていたが
 花乃は何も言わなかった。私はとにかくもう早く帰りたかった。

 帰り支度を整えて食べ終えたトレイを持ち上げ掛けた時だった。
 テーブルにさっと身を乗り出した花乃は
 ブロッコリーとニンジン掴むと手づかみで食べたのだった。
 口を両手で押さえながらむしゃむしゃと噛んでいた。

 ツーンとなにかが吹き抜けた。
 頷きながら溢さぬように噛み砕く花乃は真っ直ぐ前だけ見ていた。
 私は彼女が食べ終わるまでテーブルの前で待った。
 ごくんと飲み込んだ花乃はふうっと息を吐いた。

「おいしかったよ」

 そう。答える声がかすかに震えた。
 この子の方が覚悟してる。
 私のが未練タラタラで全然前に進めてない。
 自分で決めたこと。だったらちゃんと責任負わなきゃ。

「じゃあ急いで帰ろっか。プリン食べたいもんね」

 プリンをバックに入れてベビーカーを押しながらトレイを持ち上げた。

「花乃自分の食べたの持つ」

 花乃はお子様ランチのトレイを両手で掴んだ。
 いつもなら止めさせる。危ないからだめ。落とすでしょと。

 「気を付けてね」

 私は紙コップだけ取ってスプーンとフォークを横にした。
 そして花乃のペースで歩きながら返却台にトレイを置いた。

「できたよ」
 
 花乃は得意そうに笑った。できたねと私も笑った。
 
 出口に向かっていた時に夕依がまた水筒を落とした。
 カランカランと響いて床に転がった。

「ちゃんと紐付けておかないとだめだよ」

 ちらと私を見上げる花乃の表情は夫にそっくりだった。
 憎たらしい目付き。 
 私はなんとなく懐かしさを覚えつつ水筒を拾った。
 もう周りの目なんか気しない。
 子供なんてそんなもの。落として何が悪い。
 賑わう通路を歩き出した私は
 空いてきたフードコートに夫の脱け殻を置いて出ていった。



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