シロクマ文芸部/冬眠
雪が降る頃になると私の妻は冬眠する。
十二月の後半から三月半ばまで眠ったままになる。最初の兆候は長女を出産した師走の初めだった。
普段はてきぱきと家事をしていた妻が、ある日を堺に物事が捗らなくなった。毎日うつらうつらしていて、洗濯物をたたんだり、子供にミルクをあげてる最中にも拘わらず、彼女はゆらゆら船を漕いでしまってるのだ。
小説家を生業にしてる私はほとんど家にいるため、生まれたばかりの娘の世話もよく見ていたし、家事もなるたけ手伝っていた。出産後の妻に無理をさせたつもりはなかったので、彼女の突然の体調不良にとても慌てた。起こしてもずっとぼんやりしていて、自分が眠っていたことを覚えてなかった。熱が出るわけでもなければ、痛みがあるわけでもないので、病院に連れていっても原因が分からなかった。しかしその症状は日に日に強くなり、特に気温が低くなると顕著に顕れた。
原因を探るべくインターネットで調べてみた。病気なのか症候群なのかも不明。分かることは「寒くなると寝てしまう」だけだった。すると東北にある大学病院の医師の書いた論文に興味深いものを見つけた。
『人間冬眠説』
人の中にも稀に冬眠体質の人間がおり、寒くなると動物のように長い眠りに付いてしまうという。しかも本人に「眠っていた」自覚はなく、気温が7度を下回る日が三日間続くと、体内で冬眠準備に入ってしまうというのだ。
まさに私の妻と同じ現象であった。私は医師にメールを送り、妻を一度診てもらえないかと頼むと、翌日に「連れて来てください」と返事が来た。
クリスマスイブの前日に、もうすっかり眠ってしまっていた妻と、最大限暖かい格好をさせた娘と三人で医師の元に訪問した。
つるつる頭に丸眼鏡。白衣を着た仙人のようだった。病院でも変人扱いされているのか、陽の差さない廊下の一番端の部屋をあてがわれていて、室内には様々な動物の剥製やら標本が飾ってあった。
この人で大丈夫かな。不安が過ったが、眠りの研究の権威という肩書きもあるので、取りあえず信頼することにした。
医師は私の話をじっくりと聞いた。すぐ側で助手の男性がパソコンで何かを打ち込んでいた。妻の症状を話した上で診察が始まった。
血液を三本ほど採取してから、脈拍や血圧を計り、つむった目を開いて瞳孔を開いて調べた後、妻は病院に移され、一晩心電図の機械を着けて検査をすることになった。
母親を恋しがって泣く娘をどうにかあやしながら近くの民宿に泊まった。ただの疲れであってほしい。単に眠りが足りないだけなら、自分がもう少し家事を担当してやろう。孫を溺愛する母親の手も借りればいい。変な病気でないことを祈った。
二日後に検査結果が出た。彼女の脳波グラフを見ながら医師は深く頷いた。
「奥様はやはり冬眠症です。内臓や自律神経にはなんの問題もありません。
強いて言うなら呼吸が正常時の半分以下であることと、胃の消化活動が遅くなっていることだけです。そして体温が少し高い。生命維持を計るための防衛反応でしょう。奥様は肌でなく、鼻から吸う外気によって冷気を感知しており、7度を下回ると冬眠準備に入ってしまうのです。そして一度眠りにつけばクマのように春まで目覚めません。人間には非常に珍しい体質ですが、けっして人間の考えで無理に起こしてはいけません。奥様の体内は「冬は眠る」というサイクルになっているのですから、わざと暖かい場所に連れていったり、刺激を与えて目覚めさせたりしたら、そのサイクルが狂って死に至る場合もあるからです。奥様はなんらかの原因によって冬の寒さに耐えられず、眠って春まで待つ体質になったのです。目覚めるまでは点滴だけで大丈夫でしょう。冬眠中は排泄もありません。ただ脳の一部は活発に動いているので、長い夢を見ているのかもしれません。くれぐれも無理に起こしてはいけません。大切なのはそれだけです」
そうして三ヶ月分の点滴をもらって帰ってきた。私たちの住まいは山梨にほど近い東京の片隅で、冬になれば都心より気温はうんと低く、雪もよく降る地域で、窓の向こうには富士山も望める。のどかでのんびりした風景は子育てするにも執筆するにももってこいの環境で、季節が一目で分かる。
春には遠くまで連なる桜。夏に深い緑の眩しさ。絢爛豪華な紅葉。そして冬には銀色の雪景色。寒さをしのぐための暖炉も設置し、四駆の大きい車も買った。だが今はどちらも妻には不要になっていた。
ベッドに寝かせた妻の腕に、既に通された針から点滴を流した。彼女は全く安らかな寝顔だった。呼吸をしているか心配になって近くに耳を寄せると、蝶の羽音のような小さな息遣いが掛かった。
やがて朝日の昇る位置が変わり、桜の蕾が膨らんだ頃、妻は目覚めた。約九十日ぶりのあくびだった。しかしながら彼女はそんなに眠っていた自覚がなく「どうして私点滴なんかしてるの?」と元気いっぱいの声で聞いた。
しかも冬眠中、彼女は夢の中で日常をきちんとこなしていたらしく、年越しもお正月も、二月の私の誕生日も一緒に過ごしていないのに、勝手な記憶だけが定着しており、昨日眠ったみたいにブランクなく生活に戻った。
私は妻に冬眠のことを話さないと決めた。三ヶ月も無意識のまま眠っていたなどと知ったらショックを受けるだろうと思ったからだ。私は彼女の夢の記憶を私たちの思い出にして話を合わせることにした。笑ってコーヒーを淹れてくれる妻がいる。それだけでいいと思ったからだ。
その年も、翌年の冬も毎年妻は冬眠した。幸い二人目の息子は夏前に生まれたので、半年間は母乳を与えられ、成長した長女は母親の体質を理解できるようになった。
「ママ、またクマさんになっちゃったね」
妻が冬眠すると娘はそう言って、食器の後片付けを手伝ってくれるようになった。冬の静かな夜に私も執筆に励んだ。ありがたいことに本はそこそこ売れ、生活に困らない収入のおかげで、ずっと妻の側にいられた。私は妻の冬眠を小説として書くことにした。眠ってる彼女の近くで書き始めると、不思議なほど筆が進んだ。
娘と息子が寝付いた深夜、眠っている妻のベッドの隣に入ってそっと彼女を抱きしめる。胸元に耳を寄せると猫の寝息のような心音が聞こえてくる。肌は温かく湿って柔らかく、ああ…生きてるんだ、と涙が込み上げた。
眠っている彼女に無理やり押し込むことはしなかった。それは生命の神秘の冒涜。そんなことをしなくても春になって目覚めれば、彼女は夫婦に戻ってくれる。こんな形で奪わなくていい。一人の寒い夜、少しだけ人肌が恋しくなるだけなのだ。
妻の安らかな寝顔は私にも眠りをもたらす。「ここは安心よ」と言われているようで。最初の冬眠から既に十五年。私も家族もこのサイクルに慣れた。娘も息子も協力して秘密を守ってくれている。今では冬も悪くないと思えるようになった。
雪が解ければ妻は目覚める。長い砂時計が落ちてゆくのを待つ間、冬眠についても物語をどんな風に書こうと考えているうち、私も眠くなった。
妻の寝顔に「おやすみ」と告げて、春の光が差すまでの安眠を祈った。
「ねえママ、パパ今年もクマさんになっちゃったよ。また初雪と同じ日だったね」
娘が冬眠に入った夫を見つめて言った。
「パパが寝ちゃうと冬になったなって思うよ。パソコン開いたままになってるから閉じておくね」
「机の上はそのままでいいわよ。パパが目覚めて冬眠してたって分からないようにしてあげたいから。点滴取ってきてくれる?」
夫に点滴を流した。これから三ヶ月、春まで彼は目覚めない。自分が冬眠していたと分からないまま眠り続けるのだ。そして眠りが解けると、彼は見ていた夢を現実を思い込んだまま日常に戻る。冬眠しているのは妻の私と信じながら黙々と執筆を始めるのだ。
彼の長い眠りは家族全員の秘密。そんな暮らしがもう十五年も続いている。
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こちらの企画に参加させて頂きました。
人間も冬眠できたら楽だろうなあ。
お読み下さりありがとうございました🤗🐧