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私が許せないのは、個人の自由を奪うこと

皆さんは、自由に自分の人生を生きられると感じていますか?自由に考え、感じ、自分で選び取っていくことができているでしょうか。

私は老人ホームで介護士として働いています。多くの方々が高齢になり、自立が難しくなった際にここに入居し、日々の生活を送られています。

介護施設での生活は、安心・安全な面も多くあります。しかし、時に感じるのは「自由」と「自己決定権」の奪われやすさです。これは、いかに尊重していくべきことなのかを改めて考えさせられます。

高齢者の「自由」はどこへ?


施設に入る高齢者の方々は、若い頃と変わらぬ「自由」を持っているはずです。

自分で何かを決めたり、誰と会うか、何を食べるか、いつどこで何をしたいか──そんな日常的な「小さな自由」こそ、その人がその人らしくいられる源なのです。

しかし、介護現場では日々の生活リズムが管理されがちで、こうした小さな自由が少しずつ失われる場面も少なくありません。

この自由が奪われると、心も萎縮し、生き生きとした感情が失われてしまうこともあります。

「生きている」という実感や満足感を得るには、「自分の意思で何かを選び取る」ことが不可欠なのです。

私たち介護士ができること


私は常に考えています。「どんなに小さくても、その方の選択の自由を残すことはできないか?」と。

例えば、食事のメニューや部屋のインテリア、小さな日課など、本人が選べる部分が少しでも増えるように心がけています。

もちろん、介護の現場では制約もあります。安全面、健康面、時間的な制約、さまざまな条件をクリアしなければならないため、全てを本人の自由に任せることは難しいのが現実です。

しかし、それでも少しでも「自分の選択」があるという体験が、その人にとっての「生きる力」を支えるのだと信じています。

自由を奪うことの怖さ


皆さんも考えてみてください。もし、自分の人生において自由が少しずつ奪われていったら、どんな気持ちになるでしょうか。

自由がなくなった先には、孤独と無力感が待ち受けているかもしれません。

何をしても「決められたこと」「指示通りのこと」だけになったら、私たちは本当に「自分らしく」生きられるでしょうか?

誰もが持つ「自己決定権」を守りたい


私はこの仕事を通して、高齢者の方々に寄り添い、彼らが持つ「自己決定権」を守っていきたいと強く思っています。

なぜなら、彼らが自分で選んで生きることができるのは、生きる喜びにつながるからです。大きなことではなく、日々の小さなことにこそ自由を感じ、満足感を得てほしいのです。

さいごに


皆さんも、自分の周りで自由が少しずつ奪われていないか、考えてみてください。

どんな小さな場面でも「自分で選べること」の大切さを忘れずにいられたら、自分だけでなく、誰かの心にも響くのではないでしょうか。

私が介護士として日々感じている「自由の大切さ」を少しでも皆さんにお伝えできたら嬉しいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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