心の小さな凸凹は着実に傷跡を残す
日々介護の現場で働いていると、人の心の奥に刻まれた「小さな凸凹」に気づかされることがあります。
それは一見すると些細で、他人から見れば取るに足らないかもしれない。でも、当人にとっては長い年月をかけて蓄積され、今もなお痛みをもたらす傷跡として残っているのです。
私たち介護士は、表面上のケアだけではなく、入居者様一人ひとりの心の「傷」にも寄り添いたいと思っています。
それがとても難しいことであることも重々承知の上で、それでも「少しでも楽になってほしい」と願わずにはいられません。
何気ない一言が生む痛み
ある日、90歳近くになるAさんが、普段はあまり語らない昔話をしてくれました。
戦時中の苦労、家族との別れ、そして心の底にずっと残っている後悔。それは他人から見れば「過去の話」で、現実の問題ではないのかもしれません。
でも、その時のAさんの表情は、まだその痛みが続いていることを物語っていました。
その日の夜、私はふと「なぜ私たちはこんなにも過去の出来事に囚われ続けるのだろう?」と考え込みました。
心の傷は決して簡単に消えないもので、むしろ小さな出来事ほど忘れがたいのかもしれません。
それはまるで体にできる傷跡と同じで、治っても跡が残り、何かの拍子に思い出しては痛みが蘇る。
そんな傷跡が、Aさんのように人生の長い旅路の中で次第に増えていくのです。
ケアの先にある「気づき」
介護の仕事をしていると、つい「日常業務」に意識が向きがちです。
食事介助、入浴介助、排泄ケア…とルーティンの一環として進めてしまいがちですが、ふと立ち止まって「相手の心にある傷跡」を意識することで、ケアの質が変わる瞬間があることを感じています。
例えば、Bさんという方はいつも少しおどおどした様子で、何かあると「ごめんなさい」とすぐに謝る癖がありました。
その理由を深くは尋ねませんが、Bさんの過去にはきっと、人間関係の中で「相手の顔色をうかがわなければならなかった」経験があったのではないかと推測されました。
そういった小さな心の傷跡に気づき、その傷が少しでも癒えるような対応を心がけることは、私たちにとって大切な「もう一歩」だと感じます。
傷跡が教えてくれること
心の凸凹を知ると、ケアがより丁寧になり、相手との距離が自然と縮まるのを感じます。
入居者様と心を通わせるためには、その人がどんな「凸凹」を持ち、それがどのような影響を及ぼしているのかを理解することが欠かせません。
ある日、Cさんが突然笑顔で「ありがとう」と言ってくれました。特別なことをしたわけではありません。
ただ、少し話を聞き、温かい言葉をかけただけ。けれど、その瞬間に私もまた、「ケアをする側」としての役割を越えて、Cさんと「心が触れ合った」ような感覚を覚えました。
介護者としての成長
介護の現場は決して楽なものではありません。それでも私は、この仕事を通じて「人の心の深さ」に触れる機会が得られることを幸せに思っています。
相手の小さな凸凹に気づき、そこにそっと寄り添うことで、自分自身もまた人として少しずつ成長できるような気がするのです。
人は皆、心に傷跡を抱えています。それを癒すには時間がかかるし、完全に消えることはないかもしれません。
それでも、その傷跡を少しでも和らげるために、私たち介護士ができることがあると信じています。
毎日のケアを通じて、少しでも入居者様の「心の負担」を軽くすることが、私たちの務めであり、喜びでもあるのです。
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