心の声は聞こえているのに言葉で出てこないもどかしさ
こんにちは。私は老人ホームで働く介護士です。日々、高齢者の方々と向き合いながら、多くの喜びとともに、胸が締め付けられるような瞬間を経験しています。今日は、その中でも特に印象深い「心の声」と「もどかしさ」についてお話しさせてください。
私が初めてこの仕事を始めた頃、認知症の方との会話に戸惑うことが多くありました。
頭の中では何かを伝えたくて言葉を探しているのに、うまく形にできず、視線だけが宙を彷徨うような瞬間。
それは、見る側としてはただの「沈黙」に映るかもしれません。でも、よくよく見つめていると、その沈黙には何かしらの「伝えたい気持ち」があると気づいたのです。
たとえば、ある日のお話です。
90代の女性の入居者様で、名前を仮に「佐藤さん」としましょう。佐藤さんは、認知症の進行により、日常会話がほとんど難しい状態でした。
ご家族が面会に来られるときも、満足な会話はできず、ただ手を握り返すのが精一杯。
しかし、その目はいつも涙ぐんでいて、何かを訴えかけているようでした。
ある日、私は佐藤さんと過ごす時間がありました。いつものように笑顔で話しかけても、返ってくるのは曖昧な表情と言葉だけ。
「今日はお天気が良いですね」「お昼ご飯はおいしかったですか?」と問いかけても、うなずきはするけれど、言葉にはなりません。
でも、ふとした瞬間、佐藤さんが私の手をぎゅっと握り、目をじっと見つめてきました。その目には、「ありがとう」という気持ちが込められているように感じました。
私たちはつい、「言葉」に頼りがちです。言葉がなければ気持ちは伝わらない、と考えてしまうことも多いでしょう。
でも、この仕事を通じて、私はそれが必ずしも正しくないことを学びました。
言葉はなくても、人の「心の声」は表情や仕草、時には沈黙の中にも確かに宿っています。
それを受け取る側が、どれだけ敏感に感じ取ろうとするか。それが、信頼や安心感につながるのだと実感しています。
ただ、もどかしさも感じます。
伝えたいのに伝えられない。その不自由さが、どれほどのストレスと孤独を生むのか。介護をする中で、その一端を垣間見ることがあります。
ある入居者様が、かつて家族と過ごした幸せな時間を思い出して涙を流すこともあります。
また別の日には、ふとした音や匂いで昔の記憶がよみがえり、わずかながら話し始めることもあります。
その瞬間、彼らの「心の奥底」が少しだけ顔を出したようで、私自身も胸が熱くなります。
一方で、どうにも届かない、もどかしさを抱える日もあります。何度も繰り返される言葉の迷子、そしてその中に隠された本当の気持ち。
時には、それを受け止められない自分自身に歯がゆさを感じることもあるのです。
では、そんな時に私たち介護士ができることは何でしょうか?
私が心がけているのは、「寄り添うこと」と「待つこと」です。
焦らず、静かに、その人のペースに合わせて待つ。答えを急かすのではなく、たとえその場で言葉が返ってこなくても、その沈黙ごと大切にする。
そして、小さな変化や仕草を見逃さないよう、五感をフルに使って感じ取ること。
時には、「言葉にならない心の声」を、一緒に想像することもあります。
「今、この方はどんなことを感じているのだろう」「もしかして、こう伝えたいのではないか」。もちろん、正解はわかりません。それでも、その想像が優しさを生むなら、きっと意味のあることだと思うのです。
介護の現場では、日々の些細な出来事が、大切な気づきにつながります。
そして、それは私たち自身の心を育む種でもあります。言葉にならない心の声を聞こうとする中で、自分自身もより豊かな感受性や共感力を育てられる。それは、介護を超えて人生全般に役立つ学びではないでしょうか。
もし、このを読ブログんでくださったあなたが、家族や友人との間で何か「伝えたいけど伝えられないもどかしさ」を感じているなら、ぜひその沈黙の中に耳を澄ましてみてください。
言葉にならない心の声を聞こうとすることで、思いがけない繋がりが見えてくるかもしれません。
「心の声は聞こえているのに、言葉で出てこないもどかしさ」
これは、私たち介護士が日々向き合うテーマですが、それだけにとどまりません。
誰もが日常の中で感じる瞬間があるのではないでしょうか。その時に大切なのは、相手を否定せず、心の声に耳を傾けること。
そして、その瞬間にそっと寄り添うこと。それが、人と人との本当のつながりをつくるのだと信じています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。