これでいいのだ、と思うこと
たとえば車の運転をしている時、
いつのまにこんなことができるように
なったのだろう、と思うことがある。
補助輪なしの自転車に
乗ることさえ怖がった子供だったのに、と。
そういうことは他にもあって、
ドーナツ屋さんで、きちんと並べられた
ドーナツを好きなだけ買うことができる。
ここからここまで全部、というように。
箱いっぱいにつめられたドーナツは綺麗で、なにより美味しそうでわたしはたちまち嬉しくなる。
嬉しくなって、そしてやっぱり驚く。
金額うんぬんの話では決してなく、誰にも咎められないし、誰にも不審がられないということ。
そのことに、時々ふと冷静に驚くのだ。
そしてたぶん、少し不安にもなるのだ。
大人になってもう随分と時間が経過しているのに、そんなことを考えるなんて、なんと頼りないことだろうと自分で自分に呆れてしまう。
それでもそれは、唐突にやってくる。
小学生の頃、
一人でファーストフード店に行ったことがある。
どうしてそんな状況になったのかは覚えていないけれど、レジのお姉さんに飲み物をお願いした。わたしはお金が足りるのか、不審がられたりしないのか、そればかり気になってひどくびくびくした。
あの時の
店内に立ち込めていた匂いと、
怯えた感覚が今でも自分の中に
強く残っているような気がする。
これでいいのだ、
と思うようにしている。
いろいろなことを、いろいろな時に。
車に乗ってどこへ行こうとも、
ドーナツをどれだけ買おうとも、
すべては自分次第なのだ。
無責任ではいけないけれど、
びくびくしなくてもいいのだ。
ここもゆっくり
そんな気持ちで
続けていけたらいいな、と思う。
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