倉本 清子

気ままに文章を綴っています。 日々のなにげないことについてぽつりぽつりと。 ブログも再開しました▷▷ https://ameblo.jp/kuramoto-sayako

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そういえばの自己紹介

読むこと 書くことが大好きで、 たどり着いたnote。 でも、そういえば、 きちんと自己紹介ができていませんでした。 今更ではありますが、 簡単な自己紹介を少しさせて頂きます。 1983年7月23日生まれ 滋賀県草津市出身 2002年 ミスマガジンの賞を頂き、 和希沙也という芸名で タレント活動を始めました。 雑誌のグラビアやバラエティ番組にご縁を頂きましたこと、感謝しています。 その後 2011年の演出家の夫との結婚を機に、 所属事務所を退社。 結婚後しばら

    • やぁ、十二月。

      どんよりとした 雲が空を覆っていて 雨も少し降っていて あらゆるものが 滲んで膨らんでいくような そんなお天気。 窓ガラスは 白く曇っていて 外は寒いのだろうな、冷たいのだろうな、 そんなことを考える。 気づけば十二月。 あっという間に 時間も風景も変わっていく季節。 そこかしこに 散らばっているものは そろそろ終わりですねっていう ささやき声。息遣い。気配。 確かに、終わるのだ。 そう感じるのだけれど、 じゃあ、一体何が終わるというのだろう。 積み上が

      • 風は光ったりしないから

        とてもよく晴れた午後。 細く長い道を 足早に歩いてみる。 髪や頬、 それから鎖骨のあたり、 乾いた風が 容赦なくぶつかってくる。 風は寂しさを孕んでいて もう秋なのだ、ということを 実感する。 それにしても よく晴れた午後。 悲しいことは何もなくて、 大笑いしてしまうようなことも何もない。 ゆらされる髪に触れようとして こめかみのあたりの冷たさに気がつく。 心らしきものは あてもなく動きまわり、 なにかを見つけては拾いあげ、 また何かを見つけては拾いあげを

        • 記憶と、瓶詰め

          昨日食べたものについて 五時間前の出来事について ぼんやりと覚えている。 たぶん、 このままじっとして、そして眠ってしまうと 忘れてしまう。 けれど、 小さかった頃に触れた 土のひんやりとした感触とか 捕まえたトンボの目の奥の色とか 祖父の車の匂いとか バラバラに散らばったおはじきの美しさとか そういうものは 今でも鮮明に覚えている。 記憶というのは つくづく不思議なものだな、とそう思う。 順番通りに 並べられているわけでも、  すべてがきちんと 保管され

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        そういえばの自己紹介

          名前あそびの海の中

          小学2年生ごろ のことだったと思う。 母が何気なく 「あなたが生まれた時、名前を清子にしようか、 舞にしようか迷ってねぇ」 そう話してくれたことがある。 大人にとっては なんてことない日常の中のこの会話に 幼かったわたしは 足元が崩れ落ちてしまいそうなほどの 不安を感じた。 わたしはわたしじゃなかったかも しれないという不安。 それは心の底に張り付いて わずかなざらつきを残し続けた。 しばらくして 祖父にそのことを話した。 祖父は「へー」とか「ほー」とか 面白

          名前あそびの海の中

          雨の季節に、雨のこと

          ときどき、雨を眺める。 アスファルトや屋根に 落ちてくる一粒一粒が、 少しずつ世界を 濡らしていく様子は 不思議に感傷的で 遠い場所にいるようなそんな錯覚を覚える。 そういえば、 大切なことの多くは 雨の日だったような気がする。 小学生の頃の遠足も、 運動会も、卒業式も、 それから 入学式も、 初めて 海外留学に行った日も。 あとは 結婚しようと決めた日とか 離婚しようと思った日とか やっぱり離婚はやめておこうと思った日とか その全部が 雨だったような気がす

          雨の季節に、雨のこと

          勇ましく

          勇ましいという言葉が好きだ。 日々、勇ましくありたいと思っている。 日常生活を生きていくためには どうしたって勇気が必要だから。 だから日々の中で、 映画を観たり本を読んだり、友達と話をしたり、色々な時間を過ごして勇気を湧き立たせるようにしている。 楽しい瞬間、嬉しい瞬間、 幸福な瞬間というものは、勇気を湧き立たせてくれる唯一のものだと思うから。 だけど元々が 臆病な人間なので、 すぐに消費してしまう。 そう、多分おそらく、 わたしに限らず、勇気は消費するものなのだ

          らしさ

          ネットニュースや広告やラジオなどで 見かけること耳にすることが多くなった気のする 自分らしさ 自分らしく この言葉について、 なんとなく思いを巡らせていた今日この頃。 パソコンで検索してみると 自分の心に正直でいること 自分の意見を持っていること 自分を自分で認めてあげること そういった、さもありなんな 言葉が画面いっぱいに溢れていて うん、そうだな、そうだなぁ、と そのひとつひとつを眺めながら頷いていた。 たった一度の自分の人生、 自分らしく生きることはとても

          泣かない子供、泣く大人

          ここ最近よく見かけていた景色の中に、 卒業式終わりとおぼしき学生さん達の姿がありました。 彼ら、彼女たちは 嬉し気で寂し気で、 誇らしげで清々しく、 わたしはその姿を 目を細めながら眺めていました。 卒業式というものを わたし自身何度か経験してきたけれど、 そのどれでも泣いた記憶はありません。 泣くどころか、 ホッとしてばかりでした。 あぁ、やっとこの場所から解放されるんだなぁ、とホッとしてばかりでした。 大人は子供に色々なことを言います。 大きな夢を持とうとか、友

          泣かない子供、泣く大人

          これでいいのだ、と思うこと

          たとえば車の運転をしている時、 いつのまにこんなことができるように なったのだろう、と思うことがある。 補助輪なしの自転車に 乗ることさえ怖がった子供だったのに、と。 そういうことは他にもあって、 ドーナツ屋さんで、きちんと並べられた ドーナツを好きなだけ買うことができる。 ここからここまで全部、というように。 箱いっぱいにつめられたドーナツは綺麗で、なにより美味しそうでわたしはたちまち嬉しくなる。 嬉しくなって、そしてやっぱり驚く。 金額うんぬんの話では決してな

          これでいいのだ、と思うこと