生き方の多様性と人格の非多様性
インターネットの発達した現在、「多様性」という言葉を耳にしたことのない人はいないだろう。確かに私たちは以前に比べ、多くの選択肢を手にしていると言える。「何歳で~して、何歳で~しなきゃ」とか「良い大学が良い人生」というような風潮は依然残ってはいるが、それと異なる考えも多く生まれている。
しかし、それと同時に私たちの人格の多様性は制限されてきているように感じる。例えばADHDや境界知能がそうである。以前はこのような言葉はあまり認知されていなかった。しかし今や病気の代名詞のような扱いを受けている。みな人間のネガティブな特徴を受け入れられなくなり、「あいつは病気だから」という理由付けを行うことで対象者の振る舞いを納得させているのだ。異なる特徴を認めないという意味で、明らかに多様性と逆行しているのではないか。
もう人間のネガティブな特徴に名前を与えるのはやめないか。ただの一つの特徴でいいじゃないか。このままではいずれ、みんな何かしらの病気を持つことになる気がしてならない。そんな未来は果たして良いものだと言えるのだろうか。