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父の認知症の話⑥

(昔インコを飼っていました、父も可愛がってました。)

さて、前回のつづきです↓

父の徘徊は日に日に進んていき、とうとう徘徊を止めようとする母に暴力寸前の行為をするまでになり、医者から薬をもらってくる程になった。母も諦めて、父の徘徊に付いていく事にした。3時間くらい歩くこともあったそうだ。その時母は80歳くらい。よく付き合ったなあと思う。父は以前すごい足痛だったがそれも全く感じなくなっていた。素人考えだが、認知症で足痛を感じる脳の神経がどうかなったのかもしれない。

そんな事が数ヶ月も続いただろうか。とうとう母が肺炎で入院。ケアマネジャーさんが必死で探してくださり、父は養護老人ホームへ入所。何ヶ月待っても入所出来なかったのにケアマネジャーさんに感謝した。

有り難い事に母はまもなく退院。しかし父はそのまま預かってもらえることになった。何度も会いに行ったが父はいつも元気そうで施設の人には外へ出たいとは言わなかったそうだ。

それから1年後父は肺炎で入院。2ヶ月後に亡くなった。1度も酸素マスクを外すことなく、当然喋らす食べず逝ってしまった。入院する直前まで元気だったのに。笑ってお菓子をたべていた。ちょっと熱があるからと念のため病院へ連れて行き待ってる間に急変した。88歳だったが全部自分の歯だったし、髪もあまり白髪もなく若々しい父であった。
父はキリスト教徒だったので葬儀も音楽的で厳かな雰囲気だった。孫達がオルガンやバイオリンを披露して音楽の好きな父は喜んでいたと思う。
最後は認知症になりいろいろ大変だったがそれまでの父は私の自慢だった。今は父の写真を眺めながら「お母さんの事、よろしく頼むね」と祈るのが私の毎日の日課だ。

これで父の認知症の話は終わります。最後までお読みいただきありがとうございました。なお、この話しは約10年近くの話をギュッと縮めて書いています。ご了承ください。

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