規格のない恐さ
ボーダーレスな世界、多様性を認める社会
当たり前に良きこととして語られる新しい価値観
その新しい価値観とは、つまり極端にいえば規格がないに等しいという状態のこと
それは自由な解放である一方、自由を履き違えた者たちによる混乱をも生む状態
これからの時代を良いものにしたいなら、精神性の向上が求められる
これからは物質ではなく精神の時代と言われるのは、そういう理由からだ
縛りから解放されて自由の身になれば、既存の規格にはまらない人がたくさん出てくる
テレビ離れが進んでいるのも既存の規格に面白さを感じない人が増えたからであり、情報源が増えたことで間違いに気づく人も増えたから
既存の規格にはまったままでいてほしい
これからもずっと無知でいてほしいと願う
存在もいる
既存の規格があったほうが安心するし、そのほうが生きやすいと感じる人もいる
利害が一致する者同士はいいけれど、一致しない者は反発したり距離を置いて別世界で生きることを選択する
これからはそんな時代に入る
一致しない者同士なら皆共感できるのかと言うと
そうでもなく、やはり一人一人違う
多極化していく世界で快適に生きるには、一人一人の精神的(自立)自律が必要だ
それは、人は孤独であるということをポジティブに受け入れることでもある
人間社会では孤立すると生きていけない
だからお互いを尊重し、協調すべきところは協調して生きていく
それが人との絆や愛情を育むことになる
孤独と孤立の違いを理解してバランスをとること
これができたら、規格から外れる恐さも軽減するはず
お互いに赦しあって、認めあって、でも協調しあって生きていく
これが大きな和、大和の精神
大和の精神復活の時代がはじまる