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父の命日での出来事②/②

前回①からのつづき

前回は私の過度な謝り癖は、実家の母や親戚によるものと気づいたという話。それも自分は悪くない場合でもそれを悪いものとして自己卑下してしまうというもの。これは生きていく上で自分も周りもとても辛い。

今回は、前回実家に帰った折り、母が自分の実家の家系の場所(出所に行きたい)を調べたいと母が言ったということがありました。…ならば祖父の元の本籍が必要。なので叔母(母の弟の奥さん)に久しぶりに電話をしました。

母のそれを叔母に伝えると、祖父(母の父)がでて来たのがもう随分昔。本籍地も何十年も前に変えてしまって、今では分からないということ。叔父に聞いておいてくれると言ってくれました。そしてその件は終わって、本当に久しぶりなのでたわいない話をすることが出来ました。

昔母がよく私に言って聞かせた「人の縁は切らずに繋げる」。
忙しく随分ご無沙汰になっていたけれど、そんなことが叔母と話せて久しぶりに出来たように感じている。

一昨日は父の12回目の命日

父の命日をすっかり忘れていた私。
仕事帰りに妹にライン。
母が家系の出所を知りたいと言っていたから調べようと動き出したら「お父さんと行きたかっただけ。今はもういい。」と言うのでこの件は終了になったよと伝えた時の妹の返信が、「お母さんは、自由だーーーーーーー!!!」だった。

あんなに行きたいみたいに言っていたから、私は連れて行ってあげるしかないと思っていたのにね。でもこの自由さ。きっと父と昔行ってはみたけれど、その地に辿り着けなかった思いが残っていてつい口から出たのかもしれない。

命日の日に父が今も見守ってくれているのが分かった出来事

仕事帰りの妹とのライン。
妹の「お母さんは、自由だーーーーー!!」を読んだあとにすぐ、後ろから車が来た。それは父の誕生日と同じ月日の数字だった。妹にすぐ写メして送り、二人で「おー」っと感動。

亡くなってもちゃんと見守りサポートしてくれている。
◎私の過度な謝り癖に気づかせる実家での出来事
◎人の縁は切らずに繋げる(親戚一同仲良くすること&私は逃げてしまう方向に行く癖がある)
◎私たち家族に改めてパワフルだった父の存在を知らせる意味含め今回のことが起こったように思いました。普段から感じている父の存在だけれど、本当に心配なくこの世を生きればいいようにそのことから今思う。

この世は繋がっていて、全てが必然起こってくることは既に決まっていること。ならばそれに従うのがいいんだなと思えてきます。

起こってくることをどう受け止めるか?どう表わすかで目の前が変わる

この世は既に決まっていることが必然として起こっているだけと考えたならば、それを感じて自分がどう表わしていくかにあるのではないか。そう考えるが、妙な癖を持っているから素直にそう思えなく。また思いとは逆の方向に行ってしまって、「あ~あ」となることも多々。人間ってららーら、ららららーら🎵とは、よく歌ったものだ。

一歩一歩歩む。開き直り。


悪癖だと思う癖もあるけれど、一歩一歩進むしかないよね。
どんなにどんくさくてポンコツでもそれが私なんだもんね。その私が生きる道が未来には既にあるからやってきた直観を信じてとにかく進むことなんだろうなと思う。不安に思ったりがあるのだけれど。

でも本当に進む選択のみ。
良いも悪いもなく…。

私の進む道は、社会性が伴っていないことが多いかもしれない。
知らずに世の中に逆らってばかりで生きて来た私。
社会性が伴っていないのは慣れっこだな。

父のサポートに感謝

父の命日だったから、父のことを書こう。

兄弟の中でも私は一番に父のことが好きだった。
大好きだった。
欠点も多々ありだったけれど、その点が非常に人間臭くてもしかして私は父のそんなところが特に好きだったのかもしれない。そう思うと、人は良い面だけが愛されるというものではないと言うことなのか…。

父とは誕生日が一日違いで名前もひらがなで一文字違い。
子どもの頃には父と同じ大工になると思っていた時もある。
父のそばにはいつでも張り付いていた私の姿があった。
本当に大好きだった。
そんな父は、もうずっと私のサポートをしてくれている。

兄弟の多い私は6人兄弟。
一番下の妹も父の存在をいつも感じるらしい。
死ぬ間際にも母のことが「大好きだ」と言っていた父。
そんな父のことをちっとも感じない母。
でも母の思いは十分父に通じているから、父はそんな母のそばでいつもいてサポートをしてくれている。そして私たち兄弟のことも。

2024.10.13
父の命日に起こったことを忘れないように書いておきたかったから備忘録のようになった。だからかどうか分かりません。
最後までお読み下さりありがとうございました💗


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