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私の取り扱い説明書~名刺作るかな

3000文字程度。興味のある方のみで。
♡印をつけたい方は、すっ飛ばしてください。

「私の取り扱い説明書」

昨日ね、こんなことを思いました。
私と私以外の周りの人の為に私の「取扱説明書」がいるなと。
水牛名刺でも作ってその裏にでも「大切なこと」とでも記しておくと新しく出会った人になんとなく私というものを認識して頂けるかなと。その方が互いにしんどい時間を過ごさずに済むように思う。

「自己主張が強すぎる」

実は、昨日仕事で「自己主張が強すぎる」と私のことを仰る方がいて。
そっかぁ…と思いました。あまりにはっきり言ってもらったのでそう気づけたというか、思えたというか。すとんと落ちました。有難い。

「自己主張が強い」点に於いては、なんとなく8割方思っていたので、100%認めます。しかしどんな小さなことに対しても私の中にはきちんとした理由があるのです。ただただ意を唱えたいとか、反論したい思いがあるとは全く違うのです。

「なぜ?」や「どうして?」は私の性質

私には、子どものような「なぜ?」や「どうして?」がもしかしたら他の方よりあるのかもしれません。いちいちそれを言いまわるようなことはありませんが、気になる。対話によって、腑に落ちたらスッキリするのですが、腑に落ちるチャンスがない場合や腑に落ちない場合は、ずっとこのことが気になります。これはいいも悪いもないと思っています。私の性質。

小さなものやこと(ピンポイント)に目が行く。興味をもつ

分かりやすくお話しすると、私は大きなものより小さなものやことに目が行くのです。そこに焦点が当たる。スポットを当てるのです。自然に。興味をもったものの、そこ!に興味があるからです。もしかしたら「由布島の水牛」というのも、「かわいい」がまずあって、それが「水牛」だっただけのように思います。もちろん自然環境抜群の「由布島」だからそう感じるところあります。「これ!」とか、「ここ!」ってところに目が行く。スポットがあたる感じなんだと思ってもらえたらいいかなと思います。

生き物が好き

また私は生き物が好き。なので子どもの頃から生き物を飼っていました。沢山種類があるわけではないのですが。セキセイインコ、亀、猫、犬(これは主に妹)、熱帯魚(これは主に父でそのあと引き継ぐ)、金魚、ウナギ、ドジョウ、メダカくらいでしょうか。家には、その他妹のモモンガや鳥などがいましたが。金魚はしっぽが短いお尻ぷりぷりのランチュウが好きで、実家➡一人暮らし➡結婚しても飼っていました。そうすると、長いこと生きていましたね。

ところで、飼育に関して私が育てるとなぜか増える、増殖してしまうという現象が不思議といつも起こりました。特技のようにも思いますが、それはただのお世話好き。気になるから。毎日お世話する中でそれぞれの様子を見るとその子たちの状態がつぶさに分かる。だから元気になってどんどん増えて、増えてと、増えすぎて困る。すると…近所にめだかや金魚の赤ちゃんや幼魚をもらってもらうなど。

実は、インコももの凄い数になってお世話がちょっと大変だった。部屋で飼っているものだから、フンと羽と餌の殻害があった。吸ってしまって身体によくなかったなと。

メダカの観察

メダカに至っては、生まれた卵の一つを毎日確認し続け詳細にイラスト付きで成長を記録。今ではこれが、我ながらよく見えたもんだと感心する。それは、まるで顕微鏡でみたように詳細に記録した。それは言い過ぎカモですが、確かにしっかり見えてました。最初に目がはっきりと表れたように思う。その前のもやもや段階も当然記録。部屋に幾つもプラスチックの水槽を置いて観察したのです。面白かった。いや、それが楽しい。密かな静かな楽しみのような…オタクのような感じでしょうか。

何が言いたいかというと、そんなようにこのメダカの卵を「観察」するようにピンポイントに目が行くのです。興味の対象となるのです。人ならなぜこのようなことをされるのか?(その点では私のことを見ている方も同じように思っていることだと思いますが。)生き物が昆虫なら、昆虫の目線になる。地面に顔を近づけてじっと見る。これが面白い。静かな面白みを感じる。ミツバチマーヤの世界。対象となるものをただただ観察する。それが好き。気づかなかったけれど、これと同じことを人間にもしているんだな。

観察が好き

だいぶ最初の「取扱説明書」から話が遠のいたような気がしますが、実は言ってることは同じで、生き物であれ人間であれ観察することが好きなのです。観察からの「なぜ?」や「どうして?」が気になる。それが生き物か人間かの差だけの話。しかし仕事となると、人によってはこの「なぜこんな風にするの?」とか「なぜこうなってるの?」とか、言われて面倒に思う人もいるでしょう。そこを「自己主張が強い」と言われても、私にも納得がいかないところでもある。この件とは関係ないところでただ単にそこではなくという問題であるのですが。

対象に区別がない「興味」からの観察

これを書いていて気づいたこと。
それは、これまで人間関係にこれほどまで悩んできたのに、なぜ人間が好きなのだろう?という問題。なぜ人間が好きなのか?それは、私の中の「興味」だ。「興味津々」なのだ。興味からのピンポイント観察をずっとしてきた。今もし続けているのです。

人間観察も過ぎれば痛みを与える

生き物との言葉のやり取りはない。けれど人間とはできる。つぶさに観察したことの「なぜ」や「どうして」を私はその人に投げかける時がある。つぶさに観察をするから私の投げかけた疑問がその人には痛いところであったりする。これかー!!子どもの頃母に「いつも痛いところを突かれる」、「芯を突いてくる」と言われていた。そう言われていたな。

「芯を突いてくる」かぁ。そりゃあ、痛いよね。
私も痛い。かなり痛い。気をつけようと思う。
只今、反省ザル。いや、ざる。
いや、反省ざる。(こんなこと書いてますが、ふざけてませんよ。)

人間って分かりませんねーって書いた、お前が一番自分のこと分かっとらん!!です。はい。

腑に落ちるまで続ける

でもね、そんな私も「取扱説明書」を作った方がいいって思えているところが、今表れている自分自身のことを前よりずっと認識できるし、それを随分認められるようになっていると思うのです。こうして腑に落ちたら次へ進めるのです。人間は腑に落ちるまで繰り返しますから。有名な哲学者も言葉が違いますが、そんなようなことを言っています。

「取り扱い説明書」の作成

そんなところで、私は私の取扱説明書を近く作ることにしました。って、もうなってる。書きながら私自身が驚いてる。そうなのねって。

自分の取扱説明書を作る人ってなかなかいないと思うのですが、そんな話を聞いたこともあるので、私もその仲間入りをすることになりました。ああ、私はこれまでの自分よりわたしと言うものが分かって、それを認められて、ああ~、なんてしあわせなんだって思います。しあわせだ~💗

本日もお読み下さり、ありがとうございました。
長いのにね。
2024.11.02
画像はタイカレー
辛いけど、美味しいー✨✨



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