見出し画像

人生の生き方、姿勢は、自分を作り表わす

「自分で決める」
相手がこうだから機嫌損ねないように、こう言っておこう…。
実際にはそんなことを思ってやっているわけではないけれど、そんなことをやっていたように思う。


先に書いたように習慣でそうなっているために認識をあまりしていない。だから自分がやっていることを分かっているとは言い難い。

つい最近、ごく最近、ごくごく最近…。
私は周りの人に失礼な態度を取っていたかもしれないと思っていて。そこをずっと考えている。そのことについていっぱい書いた。失礼だったかも…実は、本当のところは判断できていない。

私自身がやらかすことを知っているので、「私、またやってしまった」的に”私が悪い”と思う傾向からそういう風に思う。これまでの慣例通り、そう思う私がいる。でもなんか違うような気がしている。これは、私の元々持っているもの?環境によってのもの?これまで通り素通りできない私がいる。頭の片隅にずっとあって、全く無視できない。これは議論する必要あるボックスに入れられる。…ひとり議論。笑


【尊重】

ある人の書いていた文章に「尊重」という言葉があった。
その「尊重」を何度も繰り返し考える。視点を変えてみた方がいいのかな?と今思った。

「尊重」…敬い重んじること。

確かに私はこの「尊重」という、敬い重んじる心が足りないような気がしている。これまであまり考えず(外を向いて思考していたので人間関係には思考しまくりでおかしくなっていた。妄想の嵐に髪の毛ぐっちゃぐちゃ。掛けてもいない黒縁メガネが片方外れて落ちるの図…。なぜか白衣で黒髪のうだつの上がらない中年男。持っているカルテも落としそう。笑)言えばその都度日和見的に軽いノリで人生を乗り切っていたのかもしれない。本人としては、決して軽くはないヘビー級な経験ばかりを体験してきているが。


【軽いノリ】

いつも相手に合わせた※「軽いノリ」=深い寄り添いをしていない。だから、影に対しては、深い感情への配慮に欠けているように思う。濃厚な関係を好む私としては、もちろんそればかりという訳ではないと断言できるけども、半面その時その時の関係をなんとか乗り切る、そういう傾向にあった。


【掴めない自分のこと】

ここで父のことを書きたい。
➡私は明るくて楽しい、そしてリーダーシップのある父が大好きだった。
いつも可笑しな顔や踊りをしたりして家の中で笑かしてくれる。
★男前で人を笑わせるのが得意。幼少期はみんなもよくやる、「お父さんのお嫁さんになる」と思ったことも。面白いし、サービス精神旺盛だから外では人気者。いとこ達がいつも父と叔父を比べていた。その代わり、家の中では亭主関白で面倒な人だった。
★怒り出したら2、3週間怒って口を利かない。面倒だから家族みんな父と距離をおく。私だけは父の寂しい気持ちを知っていたし、姉が亡くなった後に生まれた女子として超可愛がってもらったので兄弟の中では父を怖がらない父にとっては貴重な存在の私だった。寂しがり屋の父なのに、みんな寄っていかないから、いつも私は父の布団に呼ばれて布団の中で車やバイクなどに乗って想像のお出かけをするようなことをしていた。懐かしいな。
★そんな父は私のことを何歳くらいまでか…そのお布団の中では幼くして亡くなった姉の名前を呼んでいた。個としての尊厳がないよね。ある時耐えきれずに、自分の名前を言う。そうしたら「そうかぁ、〇〇〇かぁ」と言って、それっきりお布団の中で姉の名前を呼ぶことはなかった。私は知っている。父は、いつでも茶色く色褪せた縁ありの幼い姉の写真がお財布の奥に入っていることを。生涯そこにしまわれていたことを。
★また父は、人の嫌がることも笑いながら平気でやっちゃう人で…例えば。あくびをしたら、そこに拳(こぶし)を突っ込んでくる。子ども心にびっくりするし、もうー!!ってなる。けど、そこを父は、「あくびしてたら絶対噛まないんやで。なー、そうやったやろー」と、笑いながら言う人だ。実験実験。子どもを使って実験してるのです。私がやってみる!!のが好きなのも、ここから来ているように思う。傾向性が似ているのだ。
★「早くしい」とか、「早う」というのが、口癖。…いつもいつも執拗に急かされていた。だから手早く、それも人より早くしなければいけないがインプットされた。
★真剣でないといけない。ド真剣でないといけない。真面目でないといけない。そうやってめちゃくちゃ言っていた癖に、「あげもんは、融通が利かん」と言う。当時は、ならどうしたらいいの!!って怒ってはいたが。今なら「なめんなよ!!」だ。
★自然の中で遊ぶ…自然の中で遊ぶことをしてきた父にとって、私たち子どもを休みの度に山、川、海、湖に連れてく。車酔いがひどかった私は、嫌だとどんなに言っても聞き入れられることはなく、超強引に連れて行かれた。が、行けば楽しい。そのお陰もあり、沢山兄弟や家族での思い出が沢山あるし、アウトドアは得意だと思う。キャンプ、虫、動物得意、生き物観察大好き。犬には馴染みを強く感じられない…これは幼少期の恐怖体験による。
★泣き虫で共感やさん。いつも二人でテレビの前、ノンフィクションの話を聞いて涙流していた。そういえば、生き別れになった人を探して対面再会するような番組あったのだけれど、「ごたーいめーん」って言ってた。知ってる人いるかな?番組名を忘れちゃったけど…そんなのも毎週見てた。テレビ向かいにして大きい背中と小さい背中。
★昔流行った心霊やUFO、宇宙人に興味深々な父。私も一緒に。昼間には「あなたの知らない世界」とか兄弟でよく見てた。
★畑30代前半から畑を亡くなる直前まで耕す。
父の野菜は本当に素晴らしい野菜だった。いつもみんなのところに沢山のお野菜を笑顔を届けにやってきてくれていた。母と共に。
★大工の父は、家の中を全部改造して住みやすくしていた。
二戸を壁を壊して一戸にし、二つずつある台所とお風呂を必要ないところを壊し、部屋にしたり。家族が多いので、屋根裏を部屋にしたり。お風呂も何年か毎に修理や新しい浴槽にしたり、家じゅうの窓は全部便利のいいようにサッシに替えたりと、見えるところは全て手の入らない箇所がないと思われる。私はいつもそこに張り付いていたので、今でも要領が分かると思う。電気のこともやっちゃうし。本当になんでもやさんだった。昭和の人ってそうだよね。感心する。

書こうと思ったら父のことは何でも書ける。大好きだから。でも母のことになると、思い出は沢山あるけれど…ネガティブな思いが多い。本当に母に対して選択してきたものを思い出すと、人生はプロセスというけども、大好きな父に対してのこの母の活躍は、名演技…筆舌し難い。本当に心から感謝している。この二人なくして今の私はいない。

【父のことを書くと私が浮かび上がる】

本当にある側面ではよく似た親子だと思う。今度は母のことを書いてみよう。


【母のこと】

★母は、陰、日向でよく働く人。朝早くから夜遅くまで、毎日5~6個は常にお弁当箱を並べて早起きして作ってくれていた。なるだけ身体にいいもの。そして美味しいものを考えて手作りしてくれていた。
★なんでもほとんど手作り。たまにコロッケや総菜を買ってくることもあったけれど、ほとんどが畑で採れた野菜を使って新鮮で体にいいご飯のおかずを作っていた。おやつも手作り。家族が9人となると、大所帯なので朝作って、片づけに洗濯掃除をしていたら昼になり、買い物、さらに学校の行事、洗濯取り入れ、畳む、宿題見てとか、いろいろで…晩御飯。お風呂、髪の毛乾かすなどなど…。それのほとんどを母がやり、長女の私もかなりな兄弟の世話や買い物、洗濯、料理、宿題、お風呂、髪の毛乾かす、寝かしつけるなど…めちゃくちゃやっていた。その頃の母は、若いし勢いがめちゃくちゃあるから物凄い恐いしで、私もほんとに頑張って家の用事という仕事をしていた。これまで経験した仕事より、この家の用事の方が家事、ご近所付き合いなどに限られるがどれだけ広範囲で大変だったか。それも子供の私がやるんだから、相当なものだったのです。

★母も人間…当然だが、どんなに恐い存在の母も人間で時折買い物に出かけたついでにどこどこ行こうかっていうことで、道端の八百屋さんですぐ食べられる熟れたあの時はキーウイをひと籠買って、海辺に行って海の香りを感じたり漁船や上がってきてる魚なんかを眺めたり、動きまわってるフナ虫をよそに、母とキーウイを食べた記憶。イズミヤに行った時には、帰りにたい焼きを買って食べることも。と言っても、この時には家族全員分買って家で食べる感じだったけれど。たまーにそんなことをした。

母も日々の忙しさからの一瞬の休息を感じたかったんだろうな。食べ終わって、十分眺め休息を終えたら、また自転車に乗って帰る。祖母もいる。大家族でよく切り盛りしたよなって本当に感心する。毎日を乗り切ることに精いっぱい。それが昭和の母の生活だった。母は偉大だ。そう思うと、決して母のことを軽々しく言えないなって思う。➡こういう思いなのかもしれない。


【母は偉大の思い…尊重】

この母のことを書いて、やっと「尊重」の意味に得心がいったかもしれない。完全にではないかもしれないけれど。

「尊重」…尊いものとして重んずること。

私には尊敬する人も、本当にはいなかった。
言えば、感じ得なかったのかもしれない。
他人軸で生きてきたから、自分事として感じられなかったんだろうと思う。

うん。
ここで初めて、尊敬に値する人
父と母。どっちかって言ったら、母かもしれない。
でもやっぱり両方だ。


「尊敬する人…両親」

これは、人生の重みかもしれないって今思う。
どんな大変な状況でもそこから逃げ出さないで一生懸命に取り組んだ重さ。
戦後を懸命に生きた。今の私は、母にも父にも敵わない。

時代的にそれでも私には自分の時間が与えられていて、こうやって両親が育ててくれたお陰があり、自己統合に励ましてもらっている。周りの人達に支えられて。がんばるね。お父さん、お母さん。ちなみに母は健在。


【尊重に欠ける私…】

私は周りにいる素晴らしい人達のことを「尊重」できなかった。尊いものとして重んずることができなかった。それは、私の中に「尊敬」の気持ちがなかったからだと思った。母のことをきちんと見ることができずに、大嫌いなままで置いておいたからかもしれない。いや、このタイミングだから両親のことを「尊敬」できるように思う。そして周りの人を尊重できるように今、思えている。


語源から見てみると、
尊:
手に持った酒樽を差し出す様子、酒を神さまにささげる様子を表している漢字。 

敬:神様にお祈りをしている様子、神様や畏れ多い人の前でかしこまっている様子を表している漢字。

「うやまう」の「うや」は「礼」のこと。「まう」は「舞う(動作)」のこと。つまり、「礼をもって振る舞う」となります。

「尊」も「敬」も神様の前にいる様子を表していることから、「尊敬」には、頭を下げるような、仰ぎ見るような気持ちが込められています。

そこから、その人の人格や行い、業績などの素晴らしさに感じ入り、見習いたく思うような気持ちになることを意味しています。


尊重とは

「人や人命、人権などを重んじること。人の意思、考え、意見などを重んじ、配慮すること」です。

「重んじる」は、重要なものとして大切にする、価値のあるものとして扱う、ということ。

「尊重」は「その価値を認め、大切にする、重んじる」という意味ですが、対象は人に限定されず、モノや概念なども尊重の対象となるのが「尊敬」との大きな違いです。


【これから】

生き方を大切にしたいと思います。
心の持ち方や、人に対する姿勢、物事に対する姿勢…なんか頭の中でぐるぐる渦巻くなにかがあって、しきりに私に呼び掛けてくる気がしている。感情が溢れだす。

これまでの自分、頑張ってきた自分に「ありがとう」、そして「よく頑張ったね」。

今の私に…。
一生懸命自分を見つめようとする姿が素敵です。
引き続き、がんばろう。
大丈夫、大丈夫。すべてが「まる」。まあるいの「まる」だから。

これからの私に…。
周りの人たちに「尊重」の気持ちを持って、あなたならできるよ。


【人生の生き方、姿勢は、自分を作り表わす】

人生の生き方、姿勢は、自分を作り表わします。
どうか、それを忘れないでね。
応援しています。


…そんな感じ。

…と、終わってしまったけれど、【掴めない私】の掴めないは、私の本来持ち合わせて生まれてきているもの…それは変わらないものと、生まれてきて以後の変わるものの区別。二ーバーの祈りを思い出す。これは、また書きますね。

読んでくださって、ありがとうございます💓




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?