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【鑑賞録#3】あなたの空へと踏み入れて

※この鑑賞録は、Instagramで掲載したものにタイトルをつけ、加筆修正を加えたものです。


ポーラ美術館「フィリップ・パレーノ:この場所、あの空」を鑑賞しました。

 フィリップ・パレーノは、映像やインスタレーション、彫刻など、多岐にわたる手法で作品を作るフランスのアーティストです。
 彼の作品は、最新技術を駆使しつつもピアノや風船、電灯など見慣れた日常的なモチーフを多用していて、鑑賞者のいる世界(現実・現在・展示室の中etc)と別の世界(虚構・過去・展示室の外etc)を繋ぐような表現が特徴的です。演劇の舞台美術のように密接な意味の関わりを持って作品群が配置された展示空間を巡るうち、鑑賞者はパレーノの作品世界に没入していきます。

《私の部屋は金魚鉢》2024

フィリップ・パレーノ《私の部屋は金魚鉢》2024

 《私の部屋は金魚鉢》では、パレーノは展示室を巨大な水槽に変貌させます。空間内を漂っているのは、熱帯魚を模ったバルーン。鑑賞者はこのバルーンに触れることができ、また、バルーンも鑑賞者の振る舞いによる空気の流れの微妙な変化を感じ取り、意思を持っているかのように空を泳ぎます。この作品は、展覧会の冒頭に展示されており、空間や鑑賞者を巻き込んで変容し続けるパレーノの作品の特性を示していると言えるでしょう。また、バルーンが漂う様は夢の景色のようでもあり、この作品で、パレーノは鑑賞者のいる現実世界と虚構の世界を交わらせています。
 さらに、空を漂う熱帯魚のバルーンにも着目してみましょう。熱帯魚の目はパレーノによって丁寧に書き込まれており、まるで生きているかのように生々しく光っています。その目は、恐怖に見開かれているようでもあり、自由に空を泳ぐ開放感に溢れているようにも見えます。
 観客の解釈次第で千差万別に作品自体の印象が変わってくるという点、鑑賞者の振る舞いが作品の形を変えるという点で、このバルーンの存在が鑑賞者と作品の境を曖昧にしている、ということができるかもしれません。

《マリリン》2012

手前:フィリップ・パレーノ《マリリン》(部分),2012
奥:フィリップ・パレーノ《雪だまり》2024

 《マリリン》は、マリリン・モンローがかつて映画の撮影のために住んでいたニューヨークの高級ホテルのスイート・ルームを舞台にした映像作品です。最新技術によって再現されたマリリンの声と、彼女が不在の部屋を映し出す映像、自動ピアノによるリアルタイムの劇伴音楽の演奏は、マリリンという存在の不在を際立たせながら、現在、私たちのいる「いま・ここ」と、マリリンのいた「かつて・そこ」の隔たりを鑑賞者に知覚させます。
 この作品において印象的なのは、リアルタイムで奏でられるピアノの存在です。過去の時空間を映しているはずの作品のなかに、自動ピアノの演奏という鑑賞者のいる時空間を共有するものがねじ込まれる状況が作り出されています。徹底的に作り込まれて干渉不可能なはずの作品世界に足を踏み入れる感覚を味わい、現実と虚構の境、過去と現在の境が揺らぐ瞬間を鑑賞者は目撃することになります。
 パレーノは、自身の展覧会を「カメラのない映画」と形容しました。彼の作品に没入する鑑賞者は、同時に、知らず知らずのうちに彼の作品の一部分となっているのです。

《ふきだし(ブロンズ)》2024

フィリップ・パレーノ《ふきだし(ブロンズ)》2024

 《ふきだし(ブロンズ)》は、もともとは1997年の労働組合のデモのために制作されました。「ふきだし」は、現在の私たちとっては、LINEなどのSNSを思い出させるモチーフなのではないでしょうか。ひしめき合う、何も言葉の書き込まれていない風船の大群は、声なき声のシンボルでしょうか。または、ぶつかり合い、掻き消し合う大衆のコミュニケーションのシンボルでしょうか。

《幸せな結末》2014-2015/ドローイング

《幸せな結末》2014-2015
ドローイング展示風景

 最後にご紹介するのは、《幸せな結末》と題された作品と、映像作品のために描かれたドローイングの展示空間です。この展示空間では、ドローイングが展示されるガラスに特殊な加工が施され、流れる電流の働きによってガラスが曇ったり晴れたりを不規則に繰り返します。ガラスの点滅は、電灯が不規則に明滅する作品である《幸せな結末》の明滅と呼応しています。鑑賞者は不規則に曇るガラスに翻弄され、なかなか思い通りにドローイングを見ることができません。
 ドローイングは、映像作品づくりのヒントとなる、心象風景のスケッチのようなものだと言えます。この不規則に曇るガラスは、パレーノの漠然としたアイデアがくっきりとして形になる様を視覚的に表現しているのではないでしょうか。ガラスの曇りが晴れたとき、その奥に広がる空間が以外に広くて驚いたり、別のドローイングが突然現れて、今まで見えていたドローイングが見えなくなったり...パレーノの作品づくりの過程を象徴するような本作品をもって、展覧会は幕を閉じます。

終わりに

 パレーノ作品の、空間、鑑賞者のふるまいと呼応する作品性がよくわかる、ポーラ美術館という空間ならではの展開が魅力的な展覧会でした。独立して見える作品同士が同じ空間に設置されることで新たな意味を生むという状況が、パレーノ本人の優れたキュレーション能力を示しているようでもありました。

 パレーノ作品に通底するテーマは、もしかしたら二つの世界の混交かもしれません。《私の部屋は金魚鉢》では鑑賞者と作品の境、《マリリン》では、マリリン・モンローのいた過去と私たちの現在、私たちが存在するという事実と彼女がもう存在しないと言う事実、《ホタル》や《どの時も、2024》(2点とも鑑賞録に書いてないですが...)では人間と人間ではない生き物たちの世界を結びつけます。《幸せな結末》では、作られた「展覧会」という創作物の中に電流の働きによる点滅という変数を取り込み、鑑賞者の感覚をリアルタイムで刺激します。鑑賞者は、作品の中に入り込み、自分のいる世界とは違う世界の存在を知覚することになるのです。つまり、パレーノ作品を「みる」ことは、違う世界に足を踏み入れることである、といえるのではないでしょうか。
 「この場所、あの空」という展覧会タイトル、その英語版は、「Places and Spaces」。時間、空間、精神や概念というわたしたちの「今・いる」この場所と、あなた(彼方)に見える別の場所をつなぐパレーノ作品を象徴するものであると言えるでしょう。

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